第3話-03

 寒々とした石造りの壁に囲まれた狭い真っ暗な空間をじりじりとろうそくの頼りない光が壁を焦がしている。地面には申し訳程度に、薄っぺらな薄汚れた布が一枚。単にあたりの光景のせいか、それとも地面から這い上がる夜気のせいか実際の気温以上に寒く感じる。目の前には、頑丈な鉄格子。かなり年季が入っているのかあちこちがさび付いているが、それでも素手でどうにかできるようなものではない。おまけに棒の一本一本にはびっしりと魔術よけの文様が描かれていて、物理的にも魔術的にも簡単には破壊できないつくりになっている。そしてその先には三人の男たちがげらげらと下品な笑い声を立て、酒を片手に賭けに興じている。誰がどう見ても牢屋以外の何者でもない。
 ここはエルリス山地奥地、メイキ周辺で話題になってる例の武装密猟団の本拠地……の牢屋だ。
 で、何でこんなところにいるかというと……。

 時間はさかのぼること数時間前。

 大木がそこかしこに生え、そんな木々から差し込むわずかな光を奪い合うように、腰の辺りまで伸びた下草がみっしりと茂っている。延々木と下草、そしてところどころにある岩。そんな木々の間でぽっかりとあいたわずかな隙間にもれる明かりを求め、藪の間から白っぽい生き物がひょこりと姿を現す。大きさはちょうど大型犬くらいだろうか、一見すると愛らしい姿をしているが、三又の尻尾が明らかに普通の動物とは違う生き物であることを示している。
 その魔物は草むらから少し離れたところで立ち止まり後ろを振り返ると、あたりを警戒し長くとがった耳をぴくぴくと動かす。静寂を破ってあたりに声が響く。
「あーっ、もう無理。無理無理無理無理っ」
 場違いな声にびくんと全身を震わせると、魔物が一目散に逃げていく。
「ホント、もう無理ったら無理っ」
 もう何度目になるかわからないせりふを吐くと、俺は草の間にどっかと腰を下ろした。

 探索を始めてから数時間。いつの間にか太陽が西へと傾き始めている。
 オオクラの旦那の紹介で尋ねた情報屋で密猟団退治を依頼されたのが三日前。引き受けたのはいいものの、渡されたのは国境周辺の地図とざっくりとした資料のみ。今日になって何とか準備を整えて退治に繰り出したというわけだ。ま、それでもラッキーだったのは、渡された地図がかなり詳細に描かれたものだったことか。おかげで、ある程度場所を絞って転移魔法で移動することができた。
 ちなみに店の方はというと、今日は休みだ。というか三日前からずうっと『本日休業』だったりする。依頼を受けたのはいいけど、どう話をしようか悩んでいたら、突然温泉に出かけるとかいって、小さな旅行鞄片手にふらっと出かけてしまい、まだ帰ってこない。おかげで気安く出てこれたわけだが、あの人は本気で商売する気があるのか、そろそろ真剣に心配しはじめている俺がいる。

 それはとにかく、
「まあ確かに国境沿いとはいってたけどな……」
 文句をいったところで、状況が変わるわけではないがそれでも文句を言わずにはいられない。
「……国境ってどんだけ広いんだよ」
 ある程度場所を絞って転移魔法で移動したまではよかったけれど、よく考えると国境周辺にアジトがあると言う話以外ほとんどわかっていない。人数もわからなければ、アジトの様子も不明。洞窟にいるやら、それともどこかで陣でもつくっているものやら。そもそも「北のほう」という大雑把な位置でどう探せと。
 遠くから見ているとなだらかに見える山も、実際に歩くと非常に厳しい。大自然の洗礼を全身全霊に浴び、心の底から思う。
「ううっ、失敗した感がひしひしと……」
 見渡す限り、木、木、木……。あたり一帯、人の気配はまったくない。
「……これで迷ったとかいったら、泣くぞ俺」
「よーし、じゃあ泣け」
「うわっ」
 俺の独り言にタイミングよく草むらの間からけアスターが音もなくぬうっと現れる。
「び、びっくりした。急にわいてでてくるなよ」
「わくって、ゴキブリじゃあねえんだから……」
 がりがりと頭をかきながらアスターが、草むらをぬけ近づいてくる。
「たく、いつまでたっても追いついてこないから見に来て見ればこんなとこで油売ってたのかよ。お前、俺にばっか歩き回らせてなにやってんだよ。コレお前の仕事だっつーのによ」
 アスターはそういうとやれやれとわざとらしくため息を吐いた。
 もうひとつのラッキーは、以外にも――いや、見た目通りか……――、こういうことにアスターが手馴れていたことだ。山登りの準備から地図から適当な場所の見当をつけるところまであっという間にアスターが片付けていた。
「別にサボってるわけじゃないっ、あくまで休憩だよ、きゅ・う・け・いっ」
 が、残念ながら日ごろの引きこもり生活がたたり、肝心の俺が盗賊をどころか山を歩くので精一杯だったりする。
「はあ? こんなの休憩するほどの山でもねえだろ? ぐずぐずしてねえでさっさとこんなん片付けちまおうぜ」
「……みんながお前みたいな体力バカだと思うなよ」
「なっ……、お前が軟弱なだけだろ」
「軟弱いうなっ! 俺は誰かさんと違って繊細なのっ」
「……」
「…………」
 二人の間にバチバチと火花が散る。
「……なんだよ。やるっていうなら相手になるぞ」
「…………別に。で、先にいってるはずのお前が、なんでこんなところにいるんだよ」
「あー、それなんだけどな。何かこの先でこんなん見つけてさあ……」
 そういいながらアスターはポケットから無造作に一枚の紙を取り出すと、広げて見せる。
 くしゃくしゃになった紙には、黒のインクで走り書きような文字や線が描かれていた。一見するとただのメモにもみえるが、インクのところどころがにじんでいて、読みにくくなっている線をたどっていくと、そこには複数の魔方陣が浮かび上がる。
「げ、何持ってきてんだよっ」
「何って、わかんねえから聞いてんだろ」
 あわてて取り上げようとする俺に、アスターが怪訝そうな表情をみせる。と、紙に書かれた線がしゅうしゅうと煙を立て始めた。
「!」
「?」
「さっさと手を離せっ、バカ!」
 アスターがあわてて手を離すのと同時に札が、ぱんという子気味いい音を立ててはじけとんだ。
「うお……、びびった。たく、一体何なんだよ。いきなり爆発するし……」
 ひらひらと地面に落ちていく残骸を凝視しながらアスターがつぶやく。
「あれは魔法札だ。店で似たようなやつ見たことあるだろ」
「あー」
 アスターがあいまいな返事を返す。……こいつ、ほんとにわかってなかったみたいだな。
「まあ、店にあるのとは違って粗悪な乱造品だけど。普通だったらびっくり程度じゃすまないぜ」
 もっともあそこの店に置いてあるものも、逆の意味で普通じゃないわけだが。なにせカウンターのすぐ後ろの棚に、ごく普通の商品と一緒に周囲数十メートルを吹き飛ばすような札(もちろん違法)が堂々と置いてあったりするから、油断ならない。
「いくつか機能があったけど、そのうちの発火が発動したってところか」
「いくつか? ほかには何があったんだよ」
「ひとつは結界だな。何枚かを組にして、その間の空間の出入りを監視するようなもの。もうひとつは……」
 不意に俺の声をさえぎるかのように、草むらから一直線に何かが飛んでくる。異変に先に反応したのはアスターだった。アスターは俺の腕をつかむと数歩後ろに下がる。続いて鈍い音が地面から聞こえる。見ると俺たちがさっきまでたっていた場所には深々と矢が刺さっていた。
「発信機能か」
 いつの間に移動したのか背後からアスターの間延びした声がする。
「へー世の中便利なもんもあるんだな」
 あたり一面の草むらからひときわ大きな音がする。
 俺たちを取り囲むようにあらわれたのは、絵に描いたような悪人面をしたごっついおっさんたち。盗賊という割にはそこそここぎれいな格好をしている。おのおのの武器を構える男たちの間から、正確に急所を狙う鏃が光を反射する。
「あーあ、完全に囲まれたな」
 とりあえず両手を挙げた俺の後ろから、同じく両手を挙げているであろうアスターの声が聞こえる。内容の割りにやっぱり声はのんびりとしている。
「……抜くか?」
 それとなく周囲を見渡しながら俺は答えた。ざっと五、六人の男が俺の視界に映る。後ろにいるのと木の影に隠れているのもあわせると、その数およそ三十といったところか。相手の実力は未知数だが、あの程度の札に頼ってる時点でたかが知れてる。この場から逃げるくらいなら造作もなさそうだ。
「まー、それでもいいけどな」
「何をごちゃごちゃ言ってやがるっ!」
 痺れを切らした男の一人がお決まりのセリフをはく。
「……ここは手っ取り早くアジトに案内してもらおうぜ」

 というわけであっさりと降参した俺たちは、集まってきた武装密猟団のやつらにつかまり、アジトまで連れて行かれることになった。武装密猟団なんていうから多少の危険は覚悟していたが、以外にもやつらはわりと人道的だった。……もっとも人を後ろ手に縛って山道を歩かせるのが人道的の範囲に入るならの話だが。
 やはりこのあたりが縄張りなのか、慣れた足取りで進んでいく盗賊たちと、その盗賊よりさらに軽やかな足取りで進んでいくアスターに必死で追いかけて、山道を歩くこと小一時間、不意に視界が開けた。
「止まれ」
 俺の後ろを歩いていた男から声がかかる。一団が止まるのを確認し、見張りと思しき男が駆け寄ってくると、同じように集団から一人の男が歩み出る。人数もアジトもわからないなぞの武装密猟団の、本拠地がここというわけか。

 盗賊たちのやり取りを片目で見ながら改めてアジトを眺める。木で組まれた塀がぐるりと囲んでいるそれは……
「えーと、城?」
「おお、すげー。なんか本格的な砦だな、おい」
 視界が開けた先には、およそ密猟団には似つかわしくない立派な石造りの要塞がそびえ立っていた。

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