第3話-02と03の間に
 昼間とはまた違った賑わいを見せるメイキの市街地から遠く離れた天使の丘。きらきらと湖面が光を反射する。
 柔らかな月の光に照らしだされた丘の上に、二つの影が伸びる。
「もう帰るのか?」
 大柄な影が口を開く。
「ん、今回は様子を見にきただけだしね」
 地面にしゃがみこんだ小柄な影が、うつむいたまま答える。足元には大人が一人大の字に転がれそうな紙がしかれ、その上には何か図形のようなものが書き込まれている。
「っていうか気が散るから今話しかけないで」
 マロウは手にもったペンをさらさらと走らせながら、少し離れたところに立つアスターに注意を促す。
「うー、めんどくさい。座標指定するだけでいいって言うから使ってみたけどだめだね。何かもっとましな方法を考えさせないと使えないや」
 一人ぶつぶつとつぶやきながらもマロウはせっせと手を動かす。

 しばらくの間、二人の会話が途切れる。ふわりと夜気を含んだ冷たい風が吹き抜ける。

 やがてぼうっと紙が青く冷たい光を放ち始める。
 ようやく作業が終わったのかマロウがすっと立ち上がる。
「で、何?」
 軽く裾の乱れを直しながらアスターに向き合う。
「何か用があるからこんなとこまで来たんでしょ」
 だがアスターはそれには答えずもごもごと口の中で言葉を転がす。
「何もないなら帰るよ」
 そんなアスターの様子に業を煮やしたのか、マロウがくるりとそっぽを向く。
「ちょ、ちょっと待て」
「何?」
 アスターに呼び止められ振り返るが、その口調は少しきつい。
「いや……」
「昨日のこと? そんなこと別にもういいよ」
「それもあるけど……な」
「あるけど、何? さっきから何なのさ、ぐだぐだぐだぐだ。用事がないならさっさとどっかいってよ!」
「なっ……」
 アスターが一瞬言葉に詰まる。
「やっぱお前昨日のこと怒ってるだろ」
「そうだよ……」
 マロウが静かに口を開く。
「怒ってないわけないじゃん。こっちが心配して来てやったのにさ、そっちはなにさ。のんきにお友達なんかつくってさ。僕がどんな思いでここまできたとおもってるの」
「お前……」
「わかってるよ。こんなの僕の勝手な言いがかりだってことくらい。でも、でも……」
 ふと言葉が途切れる。
「……これじゃ、僕はただの道化だよ」
「お前、そういえばどうやってここに? 確か高位転移術は使えないって……」
 薄く薄くマロウが笑みを浮かべる。足元から立ち上る光が顔に影を作る。
「そうだね。だったらできるやつにやらせればいい」
 アスターの息を呑む音がかすかに聞こえる。
「ああ別に心配しなくても、そんな手荒な方法は使ってないよ。んー、むしろ取引」
「お前、マジで何してんだよっ」
 静かな丘にアスターの声が響く。
「取引って誰と、何を取引してんだよっ」
「ふうん、心配してくれるんだ」
「茶化すなよっ」
「大丈夫だよ、心配しなくても。アスターは絶対に連れ戻す、どんな手を使ってもね」
 ぼんやりと光っていた光が次第に明確な輪郭を持ち出す。
「そうじゃねえよ」
「僕のことよりアスターの方こそ用心してよ」
「だからっ」
「どんな姿かたちをしてようと、どれだけ本性を隠そうと、所詮アレは悪魔なんだから」
 何かを言いかけたアスターの言葉をさえぎるかのように光の輪郭がマロウを包み込む。
「待てよっ」
 ひときわまばゆい光が丘を包み込む。
「またね」
 そして光の残像ともにかすかな言葉を残し、マロウの姿が消えた。

 柔らかな月の光に照らしだされた丘の上に、一人残された影がポツリとつぶやく。
「ちっくしょう、いいたいことだけ言って、自分はさっさと帰りやがって……」
 アスターの声をかき消すように、夜気を含んだ冷たい風が丘を駆け抜けていった。

前へ目次次へ