俺たちは慣れた足取りでずんずん進んでいく茶髪の背中を追いかける。
大人二人がすれ違うのがやっとという狭さの道の両端には、同じように崩れかけた家、――もっともこれを家と呼ぶならばの話だが――、の壁が迫る。その壁も相当薄いのだろう。不意に横からガラスの砕ける音に続き、複数の人間の言い争う声が飛び込んでくる。その声に思わず立ち止まりそうになるが、背中を後ろからついてくる誰かに突っつかれ、俺はそのまま歩を進めた。
「……ほい、ついたよん」
俺たちより一歩先を進む自称情報屋の少年が一軒の家の前で足を止める。
「こんなところにあったのかよ……」
俺はあちこちに隙間の開いた壁と、その間にはまっている扉らしき物体を見つめながらつぶやいた。
「初めてくるとみんなそういうなー。まーでも、情報屋が大通りに店構えるわけにもいかんし。いろいろとこまるやつも多いやろ」
ちらりとこちらをみると扉に手をかける。木がこすれる音に混じりからからと乾いた鈴の音を立て戸が開く。情報屋の少年の後に従い建物の中に入ると、そこには薄暗い空間が広がっていた。窓は閉め切られ、パブというよりは立ち飲み酒屋といった雰囲気の室内には、カウンターと思しき長テーブルに室内のあちこちに積み上げられた木箱があるだけで、人の気配はない。
「誰かー、誰かおらんのー」
無人の室内になれた足取りで情報屋の少年は歩を進める。歩くたびに床からはぎしぎしという音を立てる。あまり掃除をこまめにしていないのか、室内は少しほこりっぽい。すぐ後ろでマロウがけほけほと小さな咳きをしている。
カウンターまで少年がたどり着いたところで声に呼応するように、ぎしぎしという音とともに床から人影が現れた。
「あー、いらっしゃい」
その人影が凛とした高音の少し不機嫌そうな声を発する。
「店は夕方からや。用があるなら後にして。じゃ、またな」
そう短く答えるとその影は再び床下に消えようとする。それを少年があわてて影を引きとめる。
「おばちゃん、俺や俺」
「あたしには俺なんて名前の知り合いはおらんよ、ってあーあんた? 今日はまた、何の用?」
「何の用ってお客さんつれてきてやったんや」
「客ぅ?」
そういうと床下からあらわれた影はカウンターの反対側にどっかと腰を掛ける、俺の顔をまじまじと見つめた。カウンターのそばの窓の隙間から差し込む光に顔がほんのりと照らされる。おばさんと呼ばれていたからどんな人だろうと思っていたが、意外と若い。しかも美人だ。ついさっきまで寝てたのか、少し乱れた襟の合わせ目からぐぐっと盛り上がった胸の谷間がちらちらと見え隠れしている。
「ふうん珍しいこともあるもんやね。ずいぶんな珍客やん。で、なんの用?」
「うっ」
頬杖をつき俺をじっと見る女性と視線がぶつかり、さっきからちらちらと気になってしょうがなかった男のロマンからあわてて目を離す。
「さあ? ここの地図もってたからつれてきたんやけど。ダンナの描いたやつっぽかったし、なんか仕事やない?」
もともとは俺の手にあった地図がいまは少年の手でひらひらと振られている。
「ダンナ? あーあの件ね。昨日来るってゆってたのにこんから、すっぽかされたと思っとったわ」
「悪い。昨日どっかの誰かさんのせいでいろいろとごたごたしてたもんだから、つい……」
俺が返事をした瞬間、背後がどたばたし、一発殴るっとかちょっと物騒なマロウの声が飛んでくる。
「ふむふむあたしの誘いを断るほどの用事ってのが何なのか是が非でも聞きたいわねえ」
「家の前でトラブルに巻き込まれて衛兵に事情聴取受けてたんだよ」
……まあ、正確には衛兵よりも、近所のおばちゃんたちに取り囲まれて質問攻めにあってた時間のほうが長かったんだけど。
「ほお……、衛兵に事情聴取ねえ。それであたしのとこにはこれんかったと? そーおっしゃいますかあ」
女性は俺の言葉を繰り返すと、一瞬だけ不敵な笑みを浮かべ、そしてだんとカウンターの天板をたたいて立ち上がる。
「んなもん振り切って来いっ」
がたんと大きな音を立てて、いすが床に倒れる。
「む、むちゃ言うなよっ。わざわざ騒ぎ大きくしてどうすんだよ」
「ちっちっち、それがおもろいんじゃん。セイトの第二近衛師団相手にけんか吹っかけて逃げ切ったら、あんたの人生に箔つくとこやったのにねー」
「おもしろくなくていい。人生平穏無事が一番」
早くも依頼を断りたくなってくる。
「ちっ、これだから最近のガキはつまらん」
女性はそういうと倒れたいすを起こし、そのまま、後ろの棚をごそごそと漁り始める。棚には似たような封筒が雑然と突っ込まれている。
「やー、それにしても残念やあ。昨日一晩待ってもこんやん? 今から、ダンナんのとこにいって依頼料の引き下げ交渉しよう思ってたんやけど」
あったあったと小さくつぶやき、封筒をひとつ手に取る。
「ま、ええわ。わりと時間もないことやし、さっさと仕事の話といきますか」
そして無造作に封筒をカウンターに投げる。
「っと、そろそろ帰るわ。俺、授業さぼってこっちきとるからはよ戻らんとあかんし。……そもそもこっちの報告もまだやしな」
「ちょいまち、だったらひとつ伝言を頼むよ。『二、三日中に動く』ってね。相手は、そ。いつものね」
「りょーかい」
そういうと少年は手をひらひらと振りながら、俺たちの横を通り過ぎる。
「んじゃ、またそのうち」
からんからんと鈴の音を残しぼろぼろの戸を開け外に出ていった。
残された俺たちに、すっといすに座りなおした女性がかすかに笑みを投げかける。
「さてと、それじゃはじめよか?」
一方、ところは変わってリリアン魔法具店。クロウドは目の前に座る人物をじろりとにらむ。
「……で、人をたたきおこして何のようだい」
とたんに二日酔いのせいで痛む額をかばうように手を当てた。
「たたき起こすといわれてもな、もうすぐ昼だと思うんだが」
落ち着き払った声で返事を返すのは、エイタロウ。同じく二日酔いらしく、少しやつれて見える。
「そんなことより、今日きたのはほかでもない。昨日の話の続きを聞きに来た」
「あー、あれか」
そうつぶやくとクロウドはテーブルに置いたコーヒーに手を伸ばす。
「あー、あれね」
なかの液体を口に含むと、思いのほか苦かったのか小さく眉をひそめる。
「あー〜」
そのまま、すっと視線をはずす。
「……おい」
「で、何の話?」
エイタロウがテーブルをたたき立ち上がる。勢いでたぷんとコップの中身がテーブルの上に飛び散った。
「昨日、ここでおきた襲撃事件の話だ。お前、その犯人に心当たりがあるって言って、俺に飯をたかっただろう。そのくせ途中でダウンしやがって。おかげで昨日の代金経費で落とせなくて、結局全部俺の自腹になったんだ。それでなくても今月の小遣い残り少なかったんだぞっ! 給料日まで後五日。どうしてくれるっ」
「あー、失礼。何か昨日の記憶が途中でぷっつりと途切れてるんだよ。で、昨日はどこまで話したっけ?」
エイタロウはふらふらといすに座り込むと、投げやりな調子で返事をする。
「お前が昨日、取引に失敗して森で襲われたってところまでだ」
「そうだったね。で、その続きなんだけど、相手も一応身元はごまかしていたけど相手の中に術士がいてね」
「それがどうした」
「知っているとは思うけど、術にはその国独自の技術ってやつがある。基礎はたとえ同じアカデミアで身に着けたとしても、その後の訓練でその術をたたきこまれるうちに、自然と癖がついてしまう。だから国付きの術士はたいていなまりみたいなものがでる」
「それで、そいつは国付きの術士だったと? 知識としてくらいはあるが、まったく術士というのは俺には理解できない世界だな」
すっかり冷めてしまったコーヒーをすすりながら、エイタロウが尋ねる。
「で、どこの人間だ? そいつは」
一瞬の間をおくと、クロウドが重い口を開く。
「ヨウ国だ」
その一言で、二人の間に沈黙が降りる。
「ヨウ国というと、……あいつがいるところか」
はじめに沈黙を破ったのはエイタロウだった。
「ということは今回の件もあいつの差し金か?」
「さあね、そこまではわからない。……ただ、こいつは、今回の取引予定のものだったんだけどね」
言葉を切るとクロウドは小さな鉱石のかけらをテーブルの上に置く。
「これは?」
エイタロウが少しためらいながら、テーブルに置かれた鉱石に手を伸ばす。
「そんなに恐る恐る触らなくてもどうということはない、普通の人にとってはただの石ころだよ。もちろん私たち術士にとってだってマジックアイテムを作る際にしょっちゅう使われるもので、珍しくもなんともない」
まじまじと鉱石を眺めていたエイタロウが、クロウドの言葉にふっと顔を上げる。
「むしろ異常なのは、たかが石ころにもかかわらず、口封じをしようとしたこと。それとあの少年の言葉にでてきた『軍部』というフレーズ。さてさてお国を守る師団長さんは、これをどう解くかな」
「『軍部』か……。ヨウ国は確かに軍部と魔術士団の中は悪いという話だが、本当に軍部が動いているのか、軍部に罪を着せようとしているのか。それだけではなんともいえないな。うむ、こちらで確保した賊の尋問の結果次第といったところか」
そうつぶやくとエイタロウは、何かを思案するかのようにあごの下に手をあてる。
「ところでその少年というのは、お前が倒した相手を連れ去ったという少年のことか? 何か特徴みたいなものはなかったか」
「特徴ね……。年のころは十四、五くらい。髪の色は、黒に近い茶髪をしていた。身長は高くもなく低くもない、痩せ型で一度見たら印象に残る程度には整った顔立ちをしていたな。もっとも、私には術士としての才能のほうが強烈に残っているけど。何らかの方法を使って外に漏れる魔力を抑えていたみたいだから正確には実力は測れなかったけど、こちらの正体を正確に認識した上で、なお余裕をもって笑っているくらいだったからね。それこそトップクラスの実力を持っていると思うよ。そんな目立つ少年だ、君なら情報を持っているんじゃないかい?」
「心当たりはないが……、気になるな。こちらで少し調べさせてみるか」
「案外、彼の子供かもしれないな。今思い出すと、印象が似ていたような気がするしね」
クロウドは冗談めかし、ふっと笑みをもらした。
「いや、それはありえない」
エイタロウはそういうとクロウドの瞳をまっすぐと見つめる。
「あいつにそんな年頃の男の子はいないからな」