第3話-01
「盗賊退治……ですか?」
 数式を書く手をとめると青年は、部屋の中央に静かにたたずむ少年を見つめた。
「はい。明後日、軍部が掃討作戦を行います。それに我が魔術師団も数名参加することになっていますので、ご同行ください」
 柔らかな微笑みをたたえたまま少年は、静かに告げた。
「しかし……」
 青年は、向かいに座り表情一つ変えることなく紙にペンを走らせ続ける少女をちらりと見やった。
「おっしゃりたいことはわかります」
 少年はすっと瞳を閉じると言葉を続けた。
「あなたはあくまで師団長の雇われた私的な教育係でり、魔術師団構成員ではない。そういうことですよね」
「それもありますが、私は術士とは言ってもただの理論家です。そんな人間が盗賊の掃討作戦になどついていっても邪魔になるだけなのでは」
 少年は、彼の顔をまっすぐに見つめくすりと微笑んだ。
「そうでしょうか? あなたの実力なら問題はないと思いますよ、ブレイドさん」
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『都合により本日休業     リリアン魔法具店』

 旦那から指定された場所は、暗黒街のはずれにある一軒のパブだった。
 周囲を塀に囲まれ石造りの建物が整然と立ち並ぶメイキの街だが、一歩路地に入るとそこは秩序の届かない世界だ。特に、暗黒街こと東北区のはずれともなると街を巡回する衛兵が立ち寄ることもなく、荒れるがままとなっている。本来なら街を守るはずの塀も崩れはて、どう見ても廃墟というか掘っ立て小屋としか思えないような建物が街の外まで続いている。当然こんなところに看板なんて気の利いたものがあるわけもない。
 地図から目を離すとぼうしのつばを少し上げあたりを見回した。昨日は正体不明の兵士の襲撃でばたばたしてしまい、結局今になってようやく依頼相手のいるという場所を訪れるにいたっている。……わけだが。
「うーん、この辺……のはずだよな」
 ……場所がみつからない。
 言い訳をするわけじゃないが俺だってこんなところに来るのは初めてだ。あたりは似たような建物ばかりで目印になりそうなものはないし、おまけに地図はお世辞にもわかりやすいとはいいがたい。こんなところで迷わないほうがどうかしてる。
「ねえねえ、まだつかないの?」
「いや、この辺のはずなんだけどなあ……」
 返事を返しはたと立ち止まる。声のしたほうに目をやると、大きなくりくりとした瞳と視線が合う。
「……」
「…………」
「やだ〜、そんなに見つめられたら恥ずかしい」
 声の主はマロウ。ハーフパンツにだぶだぶのロングパーカーの袖口からちらりと出ている両手で頬を包んでいやいやと頭を振ってみせる。
「……いろいろ言いたいことはあるが、とりあえず帰れ」
「ううっ、ひどーい。こんな愛らしい美少年を捉まえて」
 胸の前で両手を組むとうるうるとした瞳で見上げる。
「自分で美少年って言うなよ」
 マロウは小さく舌打ちをすると左手を腰に当て、右手の人差し指をぴっと立てると左右に軽く振った。
「ちっちっちっ、いかんよー少年。こういうときは何をしているのか聞くのがルールでしょ」
 小さくため息をつくと、とりあえず聞いてみた。
「……じゃあ何してるんだよ」
「んー、暇つぶし?」
 俺はずっこけた。
「やっぱ帰れ。今すぐ帰れっ」
「えーやだやだ。情報収集にかっこつけてせっかく遊びに来たのに、あんな貧相な小屋に一人でいるなんてつまんない」
「貧相な小屋って、……クロウドさんそれ聞いたら怒るぞ」
「二日酔いでダウンしてる人間なんて怖くないもん」
「左様ですかい」
「だから相手してよー」
「あのなー、俺は遊びに来てるわけじゃないんだぞ。そんなに暇なら、アスターにでもかまってもらえよ」
「えー、それはもっとやだ。アスターいじわるなんだもん」
 そういうとマロウはぷくっと頬を膨らませる。
「君だって昨日のあれ見たでしょ。そりゃアスターにしてみればこんなところに急に飛ばされて頭にきてるかもしれないけどさ、だからってあそこまでいうことないじゃん」
 マロウは俺のジャケットのすそをつかむと、潤んだ瞳で見上げた。
「今朝だっておはようって言っても返事もしなかったんだよ」
「何だよまだ仲直りしてなかったのかよ、めんどくさい」
「うー、なんか思い出したらむかついてきた。アスターなんて嫌いっ。単細胞だし、すぐ切れるし、頭悪いし、お子様だし、頑固だし、シスコンでマザコンだし。せっかく心配して会いに来たのにさ、これじゃ僕がバカみたいじゃん」
「あのな、そういうことは本人に直接言えばいいだろ。……そこにいるんだし」
 俺は俺たちから少し離れて後ろを黙々とついてくるアスターを指差した。
「……」
「…………」
「……………………」
 沈黙が流れる。空中で三人の視線がぶつかる。
「……なに? 何か用なの?」
 マロウはアスターに冷たい視線を投げかけた。
「別に」
 アスターがふいっと顔を背ける。
「別にそんなんじゃねえよ。……た、ただの散歩だ」
「何? 気になるの?」
「だから違っ。お前が俺の行き先にいるだけだろっ」
「ふーん、僕が彼と仲良くするのが、そんなに気になるんだ」
「そんなんじゃねえよっ! お前が誰と仲良くしようと俺には関係ねーよ」
「……じゃあこんなことしてもいいんだよね」
 むきになって否定するアスターにマロウはにやっと意地悪そうな笑みを投げかけると、すっと俺に擦り寄ってきた。そしておもむろに両腕を俺の首筋に絡める。
「「!」」
「ちょっ……、待てっ」
「こ〜んなことしたって、アスターには関係ないんだよね〜」
「俺を巻き込むなっ!」
 激しく狼狽する俺を尻目に、マロウはアスターを挑発するように唇を耳に寄せてきた。
「……ふふっ、たっぷりかわいがってあげる」
 そしてささやくと耳元にふっと息を吹きかける。
「ぎゃああああっ」
 情けなくも悲鳴を上げる俺の首に今度は、アスターの太い腕が伸びる。
「……おい、離れろ」
「何? アスターには関係ないんじゃなかったの?」
「っ……、そうだけど、それとこれとは違うだろっ!」
 興奮したアスターの腕に力が入る。
「く、首っ」
「どう違うのさ。僕がどこで誰と何をしようと僕の勝手じゃん」
「だからってこういうのは卑怯だろっ!」
「う、腕っ」
「卑怯? 関係ないアスターにいわれるようなことじゃないっ」
「はんっ、これで俺を挑発してるつもりかよ? ほんっといい性格してるぜ」
「く、くるしっ」
「うるせー、お前はちょっと黙ってろ」
 俺の必死の訴えも、アスターに一蹴されてしまう。だんだん視界がかすみ始めたそのとき、不意に背後から声がかかる。
「えーと、ちょっといいっすか?」
「今度は何だよ。今取り込み中なことくらいみりゃわかんだろ」
 声がした方向にアスターが振り向く。
「道の真ん中で痴話げんかされるとめーわくなんっすけど」
 さっきの少年の声が再び聞こえる。
「「うっ」」
「あーそれと余計なお世話かもしれないけどその腕、放したほうがええんじゃないかなー、なんて」
 指摘されあわててアスターが俺の首を閉めていた腕をばっと離す。俺は肺の中に新鮮な空気が流れ込みげほげほと咳き込んだ。うっすらとかすむ先に立っていたのは、中肉中背のこれといって特徴のない十四、五歳の少年だった。
「いくらこのあたり治安悪いってゆうても白昼堂々絞殺は勘弁してほしいわ」
 ……救世主現る。
「なんだつまらん。俺はてっきり痴情のもつれかなんかかと思ったわ」
 さっきの少年がさもつまらないといった顔で、俺たち三人を交互に見る。
「痴情のもうつれって、野郎三人……あーいや、そー見えっか、普通」
 アスターはマロウの姿をじっと見ると深くため息をついた。
「なーんでお前はいっつもいーっつもそういうまどろっこしいかっこすんだよ」
「いーじゃん別に。どんな服着ようと僕のかってでしょ」
 マロウは口を尖らせるとふいっとそっぽを向いた。
「で、兄ちゃんたちはこんなとこで何してるんすか?」
「何って僕はブレイク君が出かけるっていうから、なんかおもしろいことないかなーって暇つぶしに来ただけだよ」
「俺はこいつがふらふらブレイクについていったから、その、なんだ……」
「気になってついてきたんだ」
「そうそう……、って違うっ。断じて違うぞ! 誰がお前なんか……」
「ふーん」
 アスターがむきになって否定をすると、マロウが意地悪な視線を投げかけた。
「何だよ、その目」
「そっちこそ何さ!」
「で、そのブレイクちゅうのは……、そこでいじけとる兄ちゃん?」
「「あ」」
 少年とやりとりしていた二人と、道の端っこでひざを抱えて座り込んでいた俺の視線があう。
「お前らなんか知らん……」
 俺は二人から視線をふいっとはずすとぼそりとつぶやいた。
「あーあ、アスターがいじめるからブレイク君すねちゃったじゃん」
「俺かよっ」
「……どっちも嫌いだ…………」
「でっかい図体してめんどくさい兄ちゃんだなあ」
「ありゃりゃ完全におこっちゃったねえ。ほら、アスター責任とりなよ?」
「だ〜か〜らっ、何で俺が。あれは誰がどうみたってお前のせいだろっ」
「え〜、だって僕手とか出してないし〜。首絞めたのはアスターじゃん。そんなことしたら誰だって怒るよ、普通」
「う、まーそうだけど……」
「というわけでアスターよろしく〜」
「あーもうしゃあねえな」
 完全に丸聞こえの会話を済ませると、アスターがずかずかと俺のそばにやってきた。
「えーと、あれだ。さっきのはものの弾みってやつで別に悪気があったとかそういうことじゃねえんだ。思わず力がはいっちまったとかよくあるだろ? だから水に流そうぜ。な、な?」
「ふふふふふ……」
「お、おいっ! 大丈夫か?! なんか変なものでも食ったか?」
「……お前らなんか嫌いだ…………」
 俺はゆらゆらと立ち上がった。
「……俺がせっかくの休みを返上してこんなところをうろうろしてるのは誰のせいだと思ってるんだよ。すべては借金返済のため……。あのときお前と会わなければ今頃は自分の部屋で悠々自適なひきこもりライフを満喫しているところだったのにっ」
「正当防衛だろ。つーかお前だって殺る気まんまんだったろうが」
「厄介ごとは持ち込んでくる、女は連れ込む、痴話げんかはするっ」
「……やっぱ姉ちゃんか?」
「れっきとした男だよ。なんなら見る?」
「や、遠慮しとくわ」
「挙句の果てに俺の邪魔までしやがってっ」
「うっ、それは謝る」
「こうなったのも、ああなったのも、全部お前のせいだっ! お前にあってからろくな目にあわんっ」
「うわあ、完全に切れちゃってるよ」
「こうなったらさっさと借金返してお前らと縁を切ってやる」
「なんかよくわからんけど復活したなあ」
「縁を切って、ひきこもりライフを取り戻すっ」
「動機はろくでもないけどねー」
「ふーん、そんでうちのパブに用ってわけね」
「そうそう……って、え?」
 その言葉に俺は少年をはっと見た。
「まー、正確にはうちのおばちゃんのとこだけど」
 その手にはさっきまで確かに俺の手の中にあったはずの地図が握られている。
「ダンナも相変わらず地図下手だなー」
「い、いつの間に」
「あー、さっき首絞められてるとき兄ちゃん落としただろ。そんとき拾ったんだけど、勝手に見たらやっぱまずい?」
 少年が俺に地図を差し出す。
「いや……そういうわけじゃないけど」
「へえ、あんたがブレイクね。青みの強い黒髪で長身の兄ちゃん……、話の通りやん」
「お、俺を知ってるのか?」
「いろいろとおもしろい話、耳に入ってきてるよ。ブレイク=バースト、十六歳。もぐりの魔術士ながら、ダンナのとこに出入りする術士連中んの若手ナンバーワン。ウェスト出身らしいが、どこの誰かは誰にもわからん。……触れ込みはな」
「一体何者だよ、お前」
 俺は少年をじろりとにらんだ。
「あー俺?」
 少年がにっと笑う。
「ただのしがない情報屋や」
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