結局俺が解放されたのは日も傾いてからだった。
「はうううっ、なんかどっと疲れた」
リビング、――といっても食事用のいすとテーブルがおいてあるだけの狭い部屋だが――、のいすに倒れこむように座ると、大きなため息をひとつついた。神官娘には張り倒されるわ、いろんな人にこづき回されるわでなんかもう散々な一日だった気がする。……結局昼ごはんも食べ損ねたし。
「よう、ご苦労さん」
顔を上げると、ちょうど部屋に入ってくるアスターと目が合う。そしてその後ろには、じっと俺をにらむ神官娘。俺、何か気に触るようなことしたかなあ。まったく身に覚えがないんだが。
「さっきまでグロッキーだったのにもう動いて平気なのか?」
「ああ、傷もふさいでもらったしあのくらいならどってことねえよ。普段から鍛えてるからな」
そういや妙に手際よくけが人の世話してたっけなあと思い返しながら神官娘を見ると、今度はふいっと顔を背けられてしまう。あーあ、こりゃ本格的に嫌われてるな。
「ま、お前とは鍛え方が違うってこった」
「ちっ、一瞬でも心配した俺がバカだった」
「つーか姉貴たちのしごきに比べたらあんなのまだまだ生ぬるいぜ」
何かを思い出したのかアスターがふと遠い目をする。
「こりゃホントにやばいと思ったことなんて数え切れないほどだ……」
「いや、本当にどんなお姉さんだよ」
「君には関係ないじゃん」
神官娘はそういって話に割り込むとじろりと俺をにらみつけた。
「関係ないって、なんか感じわるいやつだな。大体なんで当然の顔して上がりこんでんだよ。お前もお前だ。居候の身で女を連れ込むなんて恥を知れ、恥をっ!」
部屋に気まずい空気が流れる。
「おい……」
「な、何だよっ」
「……これ男」
「は?」
「こいつ俺の幼馴染のマロウってんだけど、正真正銘の男だぞ」
「マジで?」
「うん。何なら今ここで脱ごうか?」
そういうとズボンのボタンに手を掛けるた。
「「脱ぐなっ!!」」
「はああ……、これが男なあ」
俺はアスターの横にちょこんと腰掛け、紅茶をすする神官娘……じゃなくて、マロウをまじまじと見つめた。
ラベンダー色ボブショートの長さにふわりと切られたその髪、くりっとした大きな瞳にぷくっと膨らんだやわらかそうな頬、すらりとした四肢を包む白い神官服が透き通るような肌の白さをいっそう際立たせる。少なくとも俺の常識ではこういうのは男には分類されない。まあ、脱ごうかとか平気で言っちゃうあたりは漢前だけど。
「まー、こいつを女だと思ってもしょーがねえか。しょっちゅう間違われてるからな」
「街を歩けばナンパされてさあ、ほんともーこまっちゃう」
マロウは、あーやだやだなどとつぶやきながら、クッキーを口の中に放り込んでいる。
「間違われたくないならそんな服着てなきゃいいだろ」
「しょーがないじゃん、これ学校の制服なんだから。僕これ嫌いなんだよねー、デザインが古臭くって」
そういわれてみれば、初めてアスターにあったときもこんな服着てたなあなどと考えながら、俺は皿のクッキーに手を伸ばした。
「あーそれは思った。あれ動きずれえんだよな」
「だからって制服改造するのはどうかと思うよ」
「へいへい、どーせ俺は不良ですよ」
アスターはふんと鼻を鳴らすと、口の中のものを紅茶で流し込んだ。
「そーいや、さっき外でクロウドの声がしたような気いしたけど、あのおっさんどこいったんだよ。そろそろ夜だぜ」
「鎧の兵士がいただろ、あの人と飲みに行ったぞ」
俺はすっかりぬるくなった紅茶を一気に飲み干した。
「あ」
「何だよ」
アスターがカップを片付ける手を止め、怪訝な顔で俺を見る。
「クロウドさんがいないってことは俺たちの夕食どうなるんだよ」
「あるもんで適当につくりゃいいじゃん」
さらりと流すとテーブルの上のカップをお盆にのせると流しに下げる。
「俺と、お前で? 冗談。俺、包丁なんて握ったことないぞ」
「手伝いとかしないの? うわ、最低」
「そういうお前はどうなんだよ」
「するわけないじゃん。料理は専属のシェフが作るもん」
そういうとマロウはふふんと鼻で笑う。
「もしかしてお嬢? いやお坊ちゃんか」
「あ、でも魚とか鳥とかはさばけるよ。解剖の練習で散々やったからねー」
「それは何でさばくんだよ」
「メス。君もさばかれてみる?」
「……謹んで遠慮させていただきます」
「えーと、にんじんとたまねぎとじゃがいもはあるな。あと鳥肉か。お、キャベツがある」
「おーい、俺の話聞いてたか」
食材をあさるアスターの背中に質問を投げる。
「おう。あートマトはねえのか。まいいか」
「もしもーし」
「ああっ? るせーな、誰もお前になんか期待してねえよ。つべこべ言わず黙ってそこに座ってろ」
そういうとアスターはどこから出したのかピンクのエプロンをつける。しかもフリルだ。似合わない、似合わなすぎる。……本当に食べれるものが出てくるんだろうな。ふ、不安だ。
「……うまい」
ポテトサラダを口に含み思わず感嘆の声が漏れる。目の前には、きれいに盛り付けられたチキンソテーとポテトサラダ、そして彩のよいスープが並ぶ。
「お前って料理うまかったんだな。……意外だ」
「まあな」
「アスターはねえ、料理だけじゃなくってお菓子作りもうまいんだよ。家事も完璧だし。なんかもーいつでも嫁にいけるよね」
「嫁言うな」
そういうとアスターはマロウの頭をこつんとつっついている。
「で、そこのマロウはなんで当然のように夕食を食べてるんだよ」
いちゃいちゃする二人を見ながら俺は尋ねた。
「う、そういわれりゃそうだよな。お前なんでここにいるんだよ」
「アスターに伝えなきゃいけないことがあって……」
「伝言か?」
早くも皿の中のサラダを胃の中に収めたアスターはテーブルの上にどんと置かれたボウルのなかから新しいサラダを取り分ける。
「……例の件でね。でもここで話しちゃっていいの?」
そういうとマロウは俺のほうをちらりと盗み見た。
「かまわん」
「……処分が決まったよ。停学3ヶ月だって。対する向こうは訓告処分」
「へえそりゃまた寛大なこったな」
「ちょっとそれだけ? こんな不当な処分でほんとにいいの?!」
マロウがテーブルをダンとたたき立ち上がる。テーブルに置かれたフォークとスプーンが踊りかしゃんという音を立てた。
「悔しくないの? なんでなにも言わないのさ?!」
アスターにマロウが詰め寄る。アスターは手にしていたフォークを静かにおろした。
「……だったらどうしろっつーんだよ」
アスターは小さくつぶやくとマロウをきっとにらみつけた。部屋がしんとなり空気が緊張する。
「誰が俺の話を聞くってんだよ。誰も聞きゃあしねえよな。相手はご立派な上級市民のお坊ちゃん、対する俺は一介の下級市民のバカ息子。あるのは品行正しい何の非もない少年たちを不良のガキが病院送りにしたって事実だけだ。お前だってそんくらいわかってんだろ」
「でもっ」
「……るせえ」
「え……」
アスターがゆらりと立ち上がる。
「そうやっていいこぶって、一人で満足して、影ではせせら笑ってんのか?」
「違うっ」
「お前だって所詮お坊ちゃん、俺のことなんてわかんねえよ」
「アスター?」
アスターの噛み付きそうな視線とマロウの今にも泣き出しそうな視線が空中でぶつかる。
「なあ、いい加減俺に付きまとうのやめろよ。いっつもいっつも尻拭いすんのは俺。いい加減うんざりなんだよっ」
「ごめ……ん」
マロウがうつむき小さな声でつぶやいた。
ばたん。
「いったあっ」
はっとして一斉に振り返る二人を尻目に俺はテーブルの下から這い出した。
「いたたた。あーやっぱ食事中にいすの後ろ足でぶらぶらやるなんて行儀の悪いことするもんじゃないなー」
「「……」」
よっこいしょといすをおこしながら二人をちらりと見ると目を丸くしている二人の視線と目が合う。
「なんだよ」
「……別に」
アスターはふいっと俺から視線をそらすとその場を後にする。
「ちょっとアスターっ」
「……頭冷やしてくる」
ぼそりとつぶやくと追いすがろうとするマロウを振り返ることなく、アスターは部屋を後にした。
「……」
「……えーと…………」
何かいわなければと思うが、いうべき言葉が見つからない。
「……ありがとう」
「は?」
「僕たちを止めるためにわざといすから落ちたんでしょ?」
「ち、違うぞっ。俺は別にそんなつもりじゃ……」
かあっと顔に血が上る。
「あはは、赤くなっちゃって。かわいい」
マロウが俺の顔を指差してけたけたと笑う。
「か、かわいいっていうなっ」
「……たく、これだからしゃいきんのの若いやつらは。こんじょーがたりん、こんじょーが。…………うぃ〜。マスターもそー思うだろう」
「お客さん飲みすぎですよ」
あごにひげを蓄えたこの店のマスターがカウンターで管を巻くエイタロウを軽くたしなめる。
「おりゃあじぇんじぇんよってないぞ〜」
客のいない薄暗い店内にからんという乾いたベルの音が響く。
「……はあっ、はあっ。よ、ようやく見つけた」
よろよろと青年が駆け込んでくる。
「こんな時間までどこほっつき歩いてるんですか。もう街中探したんですよ」
セイト国第二近衛師団第三部隊長大立伊織がつかつかとカウンター席に歩み寄ってきた。センスのいいシャツを羽織っている。
「おー、おまえか。さーのめのめ」
「うっ酒臭い。あーもう、こんなに酔っ払って」
「それで話は聞けたんでしょうね」
「そりゃあ、これから聞くとこだ。さークロウド、こいつにもはなしを聞かせてやれ〜、うりゃあ〜、ど〜。……んー、どうした〜。なんかいってやれ〜」
「その人なら……」
イオリは、大きなため息をひとつつく。
「……隣でつぶれてます」
「う……」
……お酒はほどほどに。