第2話-04

「なんじゃそりゃああああっ」
 一人取り残され絶叫する俺をいっせいに周囲の野次馬が振り返る。
「あいつ今、泥棒猫っていたよな」
 ……泥棒猫。食べ物を盗み食いする猫のこと。また、隠れて悪事をする者をさす言葉。
「うー俺は初対面のやつにそんなこと言われるようなことしてないぞ。せいぜい成人誌を買うときに兄さんの身分証明書を拝借したくらいで、……はっ、まさかこの前うっかり王立図書館の本を落としてページをやぶったことがばれたのか。いや、博物館のつぼを……。いやいや、もしかして美術館のほうか。いやいやいや……」
「それはそれで十分悪事を働いてると思うがね」
 バリトンの効いた声に振り返ると、いつも間にやってきたのか兵士が三人立っていた。
「うわ、びっくりした。おっさん……あ、いや、えーと、セイトの兵隊さん? 俺に何か?」
 周りで駆け回っている兵士と同じ格好をしている二人と、その後ろに控えているのはさっき名乗りを上げたひときわ立派な鎧の兵士だ。短く刈り込んだ髪に、鎧の上からでもはっきりとわかる立派な体つき。緋色の鎧の肩当にはこの国のシンボルである黄金の獅子のレリーフが刻まれている。そのくせ腰に佩いているのは無駄な装飾を一切排した大振りな一振りの剣。いかにも軍人という風体をしていて、なんだか軍記物に出てくる将軍みたいだ。
「取り込み中のようだがちょっといいかね」
 両脇の兵士のうち年かさの男が俺に声をかける。鎧の兵士とは対照的にすらりとした立ち姿が印象的な好青年、年は三十前半といったところだ。あまり軍人らしさはないが、かといってなよなよとした感じでもない。何気なく腰の辺りに目をやると、細身の剣と同時にチェーンをはずし、代わりに輪をベルトに通した銀時計が目に留まる。
「あ、ああ」
「聞いたところによると君はそこの家人という話だが、間違いないか」
 もう一人の兵士が、店を指差しながら尋ねる。こっちは二十五、六くらい。もう片方の兵士より若い。
「家人っていうか居候っていうか」
 店は通りに面した窓ガラスが無残に砕け散っている。何も知らないクロウドさんがこの光景をみたらと考えると、熱もないのに背中がぞくぞくする。兵士の指の先にある惨状はなるべく視界に入れないようにしながら、答える。
「目撃者の証言によると賊はどうやらそこの家人に用事があったようだか、何か心当たりはないかね」
「心当たりっていわれてもなあ……、俺も配達から帰ってきたらこうなってて何がなんだか」
 あるといえばあるような、ないといえばないような。
「そうか。まあなにか思い出したらどんな小さなことでもいい、話してくれ」
 そのあたりのことは野次馬たちから聞き込みずみだったらしく、俺の返答をさして気にする様子も見せず、年若い兵士が連絡先を書き付けた紙を渡す。
「隊長」
 その声に年かさの兵士が反応する。紙に書かれた内容をさっと確認し、ちらりと新たに加わった兵士を盗み見ると、直立不動の姿勢で敬礼していた手を下ろすところだった。年は俺に紙を渡した兵士と同じくらいに見える。その兵士の腰にも同じように銀色の時計がぶら下がっている。
「……それで話は聞けたのかね」
 渡された紙をしまいながらさりげなく会話に耳を傾ける。
「い、いやそれが『けが人に何するの』ってどなられて、追い出されました」
「ちっ、これだからエリート様ってやつはいざというときに使えない。小娘一人に追い返されるなんて」
「なんだと、剣しか能のないぼんくらが」
 若い兵士が舌打ちをすると、報告に来た兵士が色をなす。
「やめないか、人前で見苦しい」
 今にも言い争いをはじめそうな二人を隊長と呼ばれた年かさの兵士が一喝する。報告に来た兵士のほうがまだ何かいいたそうな顔をしていたが、じろりとにらまれ開きかけた口を閉じた。
「賊と直接交戦をしていた少年とその気の強いナイトさんには後日話を聞くとして……残るはこの店の主だけか。これだけの騒ぎでも出てこないとは、さすがというかなんというか。君、ここの主がどこにいるか知らないかい」
「お、俺?」
「そうだ、君以外誰がいるというんだね」
「えーと、店にはいないんだろ。ってことはクロウドさん朝出かけたまままだ帰ってないのか」
 今まで黙って聞いていた鎧の兵士の太い眉がぴくりと動いたように見えた。
「なんだ出かけているのか」
「何でも特別な取引相手だとかなんとかで、朝俺たちに仕事押し付けてさっさと出てった。ちなみにどこ行ったかまでは知らないぞ」
「そうか……」
 年かさの兵士はあごに手を当てしばしの間考えたのち、鎧の兵士に話しかける。
「師団長、今日はこの辺で引き上げたほうがよいかと」
 だが、師団長と呼ばれた兵士は考え事をしているのか返事をしない。
「師団長?」
「ああ、すまん」
 年かさの兵士が再び声をかけられ、鎧の兵士ははっと我に返ると俺に近づいてきた。
「君、ここの店の主の名前をなんといったかね」
「クロウドさんだけど」
 返事を聞くや否や、鎧の兵士のぶっとい腕が俺の両肩に伸びる。と同時にがしがしと前後に視界が揺さぶられる。
「クロウドというとあのクロウドか?!」
 聞くというよりは、怒鳴るとか叫ぶとかいったほうが近い。
「うわあぁ、痛いイタイいたい」
 乱暴に揺さぶられ情けない悲鳴を上げると、あわてて三人の兵士が俺と鎧の兵士を引き剥がした。
「大丈夫か、君」
 若い兵士が俺の腕をつかんだまま尋ねる。
「うう、むごい目にあった。一体なんなんだよ……」
 一方の鎧の兵士はというと、兵士二人がかりで引き剥がされ、荒い息を吐いている。その間に年かさの兵士がなだめにかかる。
「師団長、あのですね……」
 が、彼の声は鎧の兵士には届かない。
「くっ、またあいつか。あの野郎は毎度毎度面倒ごとばっかりおこしやがって……。学生時代もあいつのせいで何度生徒指導室に呼び出されたことか」
「失礼な。君だって率先して悪さしてただろう」
 不意に鎧の兵士と俺の間にクロウドさんが出現する。

「うわあああっ!」
「やあ久しぶり、武1のエータロー君」
 驚く兵士たちをよそにクロウドさんはすっと手を上げる。後ろ向きのため表情まではわからないが、その顔にはいつもの微笑を浮かべているに違いない。
「お前は、どっからわいてくるんだ」
 兵士の腕を振り解くと、びしりと指を差す。
「その言い方はひどいな。わくってゴキブリじゃないんだから」
「がさがさ音を立てるだけゴキブリのほうがましだ。急に目の前に転移してくるな、心臓に悪い」
「いやあ、そんなに喜んでもらえるとこっちもうれしいよ」
 そういうとクロウドさんは快活な笑い声を上げた。……このおっさん確信犯だ。
「それで、何のようだ」
 さすがに落ち着いたのか、咳払いをひとつすると不機嫌そうな声で尋ねる。
「何の用とはご挨拶だね。用があるのはそっちじゃないのかい」
「なに?」
「おっと知らなかったのかい。そこ、私の家なんだよ」
「なにぃ?! 俺は聞いていないぞ! おい、そこのお前」
 鎧の兵士のそばにいた若い兵士が身をこわばらせる。
「お前はここに沈黙の魔導士が住んでいることを知っていたのか」
 質問された兵士があいまいに返事をする。
「なぜそれを先に言わん!」
「いや、ですから先ほどから何度も申し上げようと……」
 完全に固まってしまった若い兵士に代わり、年かさの兵士が代弁している。俺の横で突っ立っている兵士が俺も知らなかったぞとつぶやいているのが聞こえた。
 一方渦中の人物はといえば、ちょっとした修羅場になっている兵士たちを置いてにさっさと店に戻ろうとしている。俺もあわててクロウドさんの後を追った。
「それにしても、また派手にやってくれたもんだ」
 クロウドさんが店の前で立ち止まる。追いついた俺は、クロウドさんの横に並び今度はまじまじと店を見る。さっきまではなるべく見ないようにしていたが、改めて見ると本当にひどい有様だ。壁こそ無事なものの、あたり一面ガラスが散らばり、窓からはちょうつがいひとつで窓枠だったものがぶら下がっている。
 がしゃんという大きな音があたりに響きわたる。振り返ると向かいの家の前で兵士が二人壊れた窓枠をはさんで二階を見上げていた。その視線の先にあるのは店と同じく、ガラスの砕け散った窓。周囲を見渡すと、当たり一帯の家で無傷な場所はほぼ皆無といった状態だった。
「……さてどういうことか説明してもらおうか、ブレイク君」
 店を見つめたままクロウドさんが静かに語りかけてくる。
「俺だってよくわかんないんだよ。配達から帰ってきたら店の前で怪しい連中と神官娘がにらみ合ってて、仲裁に入ろうとしたら神官娘にKOされてさあ、気づいたら賊とアスターが戦ってるわどっかから攻撃魔法はとんでくるわでもう何がなんだかさっぱり」
「あのねえ、うそならもうちょっとましなものをつきなさい」
 クロウドさんが小さなため息をつく。
「う、うそじゃないっ! 疑うんならそこいらにいる兵士にでも聞けばわかるって」
「いつからそんな悪い子になったんだい。お兄さん悲しいよ」
「うわあ、お兄さんとか中年オヤジがキモっ」
「……」
「…………」
 しばしの沈黙。
「今、中年とかいったのはこの口かっ」
 クロウドさんはそう叫ぶと俺のほっぺたをきりきりとつねった。顔にはどす黒い笑みを浮かべている。
「ひたいひたいっ! ほめんなはいっ、ひょーひのりまひた」
「お、落ち着いてください」
 俺たちを追いかけてきた兵士がとめに入る。
「あううう」
 ほっぺたをさすりながらうめく俺をよそに二人は会話を進めていく。
「で、さっきの話は本当かい」
「はい、複数の住人からの証言もありますし」
「しかし女の子にのされるとは、君も使えないねえ」
「う……」
 ちらりと向けられたクロウドさんの視線がささる。
「あ、それは俺も思いました」
 兵士の言葉がさらに追い討ちをかける。
「そんなこといったってめちゃめちゃ重い一発だったんだぞ。その神官娘は今アスターが店に連れ込んでるし。いや、あの場合は逆か? とにかくお前らもいっぺん殴られてみろよっ」
「はいはい、そうだね」
「あー、俺そういう趣味ないから」
 俺の言葉は二人にあっさりと受け流された。
「大体の状況はわかったとして、どうしてこんなところにセイト国第二近衛師団なんかがいるんだい。さすがにこれで全員ってわけじゃなさそうだけど」
「ああ、それは第三部隊長、師団長と話をしている兵士の進言があったからです。この街の周辺で演習をおこなっていたのですが、大規模破壊魔術の詠唱気配があるとかで急遽演習を取りやめて、犯人確保へ切り替えたというわけです」
「あー、そういえば近衛師団には術士もいるんだったけ」
「もっとも俺たちがたどり着いた時には、術は発動後でしたが」
「へえ」
 クロウドさんが薄ら笑いを浮かべながらちらりとこっちを見る。
「それで犯人は?」
「その心配はない。ここにいた賊は全員確保した」
 いつの間にやってきていたのか、鎧姿の兵士が短いひげをさすりながら立っていた。
「術士たちのほうも、先ほどすべて詰め所に送ったとの報告がありました」
 その横には、おそらくこの人が第三部隊長なのだろう、さっきの年かさの兵士が立っていた。
「なんだ話し合いはもう終わったのか」
「……なれてますから」
 少しつまらなそうな顔をするクロウドさんに、年かさの兵士が疲れた声で答えた。
「クロウド。犯人に心当たりはないか?」
「心当たりか……」
「賊はどこかの傭兵を装っていたが、ずいぶんと訓練されているようで統制も取れていた。俺の見たところあれはどこかの国の正式な兵だな」
「ふーん、なるほど……」
 不意にクロウドさんが不敵な笑みを浮かべた。
「やはり心当たりがあるのか」
「教えるのはいいけど、ただというわけにはいかないな。交渉が決裂したとはいえ、お客さんはお客さんだしねえ」
「なっ」
「そういえば、南西区においしい魚介料理の店ができたんだってねえ。どうだい久しぶりにサシで」
 クロウドさんがくいっと軽く手首をひねり、酒を飲むしぐさをしてみせる。
「もちろんおごってくれるね、師団長さん」
 鎧姿の兵士は頭を左右に振り頭を抱えながら小さくため息をついた。
「わかった」
「どうもごちそうさん」
 満面の笑みを浮かべるクロウドさんに小さく「ちっ、相変わらず食えないやつだ」と吐き捨てると、一言二言隣の兵士に指示を出し、立ち去っていった。

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