第2話-02

 晴れ渡った青空の下、うららかな春の日差しがまぶしい。だがうっそうと木々が覆い茂る森の中にはうっすらとした木漏れ日が差し込むだけだ。そんな薄暗い森の中、数人の男たちがうごめいていた。まるで人目を避けるかのように。
 風に乗り途切れ途切れに声が聞こえてくる。

 不意に男たちの動きが止まる。耳ざわりな金属音。男たちの一人が手にした剣が光を反射する。その姿にはすきはない。無造作に囲んでいるようにも見えるが、互いの距離のとり方は絶妙だ。見る人が見ればよく訓練されていることが一目でわかるだろう。
 複数の地面を蹴る音とともにいっせいに男たちが踊りかかった。その先には壮年の男が一人。幾人もの男に囲まれ、しかし彼は微動だにしない。一振りの太刀が振り下ろされる。

キン。

 金属質な音に続き、折れた切っ先が地面に突き刺さる。一瞬のどよめき。男たちを叱咤する声。再び男たちがそれぞれの得物を構える。その中心にいる男は少しじゃまそうに明るい茶髪の髪をかき上げた。その顔は、楽しそうにも悲しそうにも見える。
 緩慢に右手を動かす。

 次の瞬間、森の中を一陣の風が吹き抜けた。

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 見慣れた路地を足早に通り過ぎる俺に、街の時計台が時を知らせる。
 この街では夜明けから外周の塀の閉門の時間までの間、一時間おきに時を知らせる鐘がなる。今の鐘はの数は二つ、つまり二時。昼時までには配達を全部終わらせるはずが、旦那のところで思わぬ足止めを食らったせいでこんな時間になってしまった。それでなくても成長期で人の三倍はぺろりと胃の中に納まるお年頃、――いや実際にはそんなに食べないけど――、朝ごはんからこの時間までコーヒー一杯じゃいいかげん腹の虫も限界だ。ぐうとひときわ大きく鳴る腹の音に自然と歩みも速くなる。

 と最後の角を曲がったところではたと足をとめる。リリアン魔法具店が面しているのは、いくつもの道ともいえないような路地が複雑に入り組んだこのあたりでは珍しく道と呼べる代物だ。そのため魔法具店の裏手の広場と合わせて普段ならこの時間は近所の子供たちの遊び場となっているはずだけど、今日はそんな子供たちの姿に加えて、お嬢さんにお姉さんついでに野郎ども、おばさんおっさん、果てはじいさんばあさんとどっからこれだけの人が沸いてきたんだってくらい大勢の人でごった返している。しかもご近所さん中が集まっているらしくその中には見知った顔もいくつかある。不意にその中の一人が俺の姿を認めるなり声をあげた。
「ブレイクちゃん帰ってきたよ」
 お隣のおばちゃんの一声で、それまで店を遠巻きにして集まっていた野次馬たちがいっせいに俺を取り囲んだ。いきなりのことに思わず後ずさる。と、がっしりとした手が俺の肩をつかむ。
「いいときに帰って来たな」
 これは斜向かいのおじさん。仕事が建築関係のせいかただの町人Aにしてはやたらとがガタイがいい。
「ああよかった、一時はどうなることかと」
 向かいのおばあさんがほっとした表情で胸に手を当てている。
「な、なにか……」
 理由もわからずどきどきしながらなんとか声を絞り出す。
「なんかねえ、あんたんとこの店の前でもめてるみたいなんだよ」
 隣のおばちゃんが不穏なことをこともなげに言う。
「は?」
 あわてて人垣の前に出ると、そこにはこのあたりでは珍しい兵士姿の男数人とやっぱり浮きまくった神官服を身にまとった人物が対峙するように立っていた。しかもこの兵士たち、どう見てもこの国の兵士の姿じゃない。貴族の私兵か下手すりゃ他国の兵士だ。対する神官服の人物はどう見ても子供か女性にしか見えない。ここは国境沿いの街だけあっていろんなやつがいるけど、それにしたってこんなところでにらみ合ってるなんて見るからに怪しい。
「ね」
 いつの間に移動してきたのか、人垣の中でも見物には絶好の位置を確保したおばちゃんが念を押す。
「いや、ね、とか言われても」
「大の大人がよってたかって……、なんとかならないかねえ」
 誰のものともわからないふつやきが耳に入る。なんとなくいやな予感がする。
「別に俺たちに関わりなきゃほっとけば?」
 そうやって俺もギャラリーに徹しようとするがそうはいかない。この一言に後ろからいっせいにブーイングが飛ぶ。
「うわ、冷たい」
「この薄情もの」
「あんたそれで良心が痛まないのかい」
「人でなしー」
「まったくどういう教育を受けているんだ」
「親の顔が見てみたい」
「これだから最近の若いもんは……」
 う……、そこまで言うか普通。そりゃあの神官は気の毒だけど、だからって素性もわからないあんな怪しげなやつらと関わり合いになるなんて冗談じゃない。
 がそうこうしているうちに、おばちゃんたちがなんだかよくわからない理論で丸め込みにかかる。
「あんた何のために術を学んでるんだい。こういうときにでも活躍しないでいつ活躍するんだよ」
「大体あんたのとこで暴れてるってことはあんたの知り合いだろ。あんたが何とかするのが筋ってもんじゃないかい」
「あいにく俺には兵士の知り合いも、神官の知り合いもいない。どっちかに肩入れする義理もない」
 特に教会は魔族のことを目の敵にしてる。俺にかかわらないならどうぞご勝手に、だ。
「とにかく、俺には関係ない」
 そう言い放ちくるりと後ろに下がろうとすると壁のようなものにぶつかった。
「だとしてもだ。クロウドは出かけたばかり、店には誰もいない。あんた以外誰がいるってんだ」
 斜向かいのおじさんが退路をふさぐ。アルコールの臭いが鼻を刺激する。
「だーかーら、なんで俺なんだよ」
 おじさんの息がかからないように首をひねりながら抗議する。
「そりゃあんた、あたしらがどうにかできると思うかい」
 それはそうだ。が、
「そのわりにご近所総出で野次馬してるじゃん」
 このあたりじゃ揉め事はしょっちゅうだ。そうでなくても血の気の多い連中ぞろい、けんかだって立派な見世物になる。でも、それにしたってこんな見るからに危険そうな相手によくのんびり見物してられるよ、まったく。
「それはそれ、これはこれだよ」
 それが合図だったかのように誰かに突き飛ばされる。俺はバランスを失い後ろによろめくと、そのまましりもちをついてしまう。
「痛ったー、誰だよ今突き飛ばしたの」
 が、そんな言葉は誰も聞いちゃいない。
「よーしがんばれ、俺たちがついてるぞ」
「それでこそ男ってもんだよ」
「あんたはやればできる子だ」
「何かあったらまかせとけ、骨は拾ってやるぞ」
 野次馬たちが好き勝手な声援を送る。
「ちょー、待て」
 あわてて立ち上がると今度は争っている双方とばっちり目が合ってしまう。
「あ……」
 ……に、逃げられない。
「…………」
 両者ともに突如野次馬の中から現れた闖入者にぎょっとしている。それにしてもさっきまで後姿でわからなかったが神官服の少女、意外とかわいい。さっきからギャラリーがやたらとこいつの肩をもつのはこういうことだったらしい。ここで颯爽と助ければヒーローになれる。もしかして俺ってばちょっとラッキー?
「……えーと」
 相手を刺激しないようゆっくり声をかける。が、もともと殺気立ってた兵士たちは俺を新たな標的とみなし、それぞれの得物を構えた。ま、ここまでは想定の範囲内。そして神官服の少女は……
「あ、あ……」
 俺の顔を見るなり口をパクパクさせて後ずさる。手をさし伸ばすとさらに後退、眉を寄せいやいやと首を振ってみせる。
「いや、俺は怪しいものじゃ……」
 まずは彼女の警戒を解くのが先と一歩踏み出す。その瞬間、
「いやあああっ!!」
 強烈な悲鳴とともに神官少女のパンチが炸裂。視界が暗転。
「うぐ……」
 舞台登場から三十秒、俺はあえなく退場となった。

 ふっ、効いたぜ……。

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 手ごろな木に足を組んで寄りかかっていたクロウドは紫煙をくゆらせながら誰とはなしにつぶやいた。
「まあ、こんなもんかな」
 その足元には数々の武器が散らばり兵士姿の男たちが転がっている。身をよじっているもの、うめき声を上げるもの、そして生きているのか死んでいるのかの区別さえつかないもの、――これが沈黙の魔導士に挑んだ者たちのなれの果てだった。

 一口にマジックアイテムといってもその種類は膨大で、冒険には欠かせない各種薬や日用品といった工場で大量生産されている一般的なものから、術の粋を集めた一品物まで実にさまざまだ。彼の店で扱っている商品は圧倒的に後者が多く、そのなかにはさまざまな理由により製造販売が禁止されているものもある。その代表であり彼の店の主力商品でもあるのが魔法札だ。特に彼の作り出す攻撃系魔法札はその品質もさることながら、扱いやすさとそのわりに高い威力は定評があり、一部では気の遠くなりそうな高値で取引されている。
 魔法札とは手ごろな大きさの紙や木などに術を刻み込んだもので、使い捨てだがある程度の基礎教育さえ受ければ誰でもその術が使えるようになるというものだ。暴発の危険があるという理由で禁止されているが何のことはない、国が術をできるだけ独占したいだけのことである。現にどこの国でも兵士たちは魔法札を半ば公然と使っているし、そもそも彼の顧客の大半が軍や王室関係者なのだ。
 だから今回みたいなことは何度もあったし、きっとこれからもそれは続くだろう。
 だが、今回はいつもとは少し違った。いつもはどちらかというと力ずくで仕官を勧めるといった類のものだったが、今回に関して言えばそういった様子は毛筋ほども見られず問答無用で消すといった感じだった。

「やっぱりこれか……」
 そうつぶやくと今回取引するはずだった鉱石のひとつを取り上げるともてあそびはじめた。この鉱石は魔力を帯びる性質を持つためよくマジックアイテムを作る際に使われるもので別段珍しいものでもなんでもない。だがそれは術士ならばの話だ。
「こんなもの何に使うつもりだったんだろうね」
 クロウドはさっきまで客だった兵士たちを冷ややかに見下ろすと、静かに目を閉じた。
 術士以外にとってはこれはただの石ころも同然、到底兵士がほしがるような代物ではない。しかも取引相手の口を封じてまで。
「君は何か知ってるんじゃないかな」
 クロウドは不意に横の草むらに話しかけると、そこに向かいいままでいじっていた鉱石を投げた。クロウドの手を離れ放物線を描いた鉱石は、だが音も立てずに草むらへと消える。
「やだなばれていたんですか」
 代わりにがさがさと草むらをかき分けて現れたのは一人の少年、その手には先ほど投げた鉱石がある。
「もう、こういうものをいきなり投げないでくださいよ。当たったら危ないじゃないですか」
 少年はくすくすと笑っている。その笑顔がクロウドの記憶の底を刺激する。
「ああ、それは失礼」
 クロウドはまぶたを閉じたままふっと笑った。
「それで、さっきの質問の答えは?」
 クロウドの視線が少年を捉える。少年はしばしの間考える風を見せた後、言葉をつむいだ。
「さあ、どうなんですかね、軍部の考えは僕にはわかりませんから。いえ、大体の予想はつきますけど……」
 いったん言葉を切るとくすりと微笑む。
「それは話さないほうがいいと思いますよ、お互いのために」
 そういうと今まで目もくれなかった足元に倒れている男たちを一瞥する。
「さてと、そろそろ僕はお暇させていただきます」
 少年は手にしていた鉱石を投げ返した。クロウドはそれを片手で受け取る。
「これを片付けなきゃいけませんので」
 少年の足元に魔法円が展開する。
「では」
 一瞬まばゆい光があたりを包んだかと思うと、次の瞬間の後には光とともに少年と兵士たちの姿はあたりから消えていた。

 後には、木によりかかったまま少年のいた場所を見つめ続けるクロウドだけが残されていた。その顔には何の表情もない。
 クロウドは手にしていた鉱石をポケットに無造作に突っ込むと、ゆっくりと煙を吐き出す。そしてすっかり短くなったタバコを足元に落としてもみ消すと、その場から静かに離れた。
 あたりに残されたのは転々と広がる血とばらばらに地面に転がる武器。

 そして森はようやくいつもの静けさを取り戻した。

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