『確定申告はお済みですか? 税金を、きちんと治めてハッピーライフ。民部省』
『メイキ周辺にて悪魔の目撃情報あり。生死は問わず。捕縛者には金一封。兵部省治安課』
『武装密猟団に注意。最近、メイキ周辺にて無許可でドラゴンの狩猟を行っている密猟団の目撃が相次いでいます。犯人逮捕のための情報提供をお願いします。中務省環境保全課』
『接客店員募集。時給十シルバ、深夜・危険手当てあり。十八歳から三十四歳までの明るく元気な人ならどなたでも可。武術・魔術等経験者優遇。パブ・荒くれ者』
『高価買取します。求むS・Aランクマジックアイテム。私製品も可。ただし未使用品に限る。リサイクルショップ、うば桜』
『今月十二日にいなくなった三歳オスのゴブリンを探しています。左肩に茶色のぶちがあり首に赤い首輪をつけています。エトウ、連絡先:*****』
春うらら。薄汚れた路地裏にも春の穏やかな日差しが差し込み、整備を放棄されぼろぼろになった石畳の隙間からタンポポの黄色い花が顔を除かせる。心なしかあたりの雰囲気がやわらかい。
ふと耳に喧騒が飛び込んでくる。酔っ払い同士のけんかだ。俺は目深に被った帽子のふちからさまざまな紙の張ってある壁にちらりと目をやると、道の片隅にたむろする柄の悪そうな男たちと目を合わせないように足早に通り過ぎた。どうやら、さっきのは俺の思い違いだったらしい。
俺が今いるのはメイキの東北区、別名暗黒街と呼ばれる地区の一角にある口入れ屋だ。あ、口入れ屋っていうのは、依頼人からの依頼を受けて職を求める請負人に仕事を斡旋するところで、分かりやすく言うと冒険者ギルドみたいなところだ。あくまで表向きは、の話だけど。なにせ俺が借金のかたにただ働きさせられている魔法具店がある東南区も治安が悪いけど、ここはそれ以上だ。ただ単に貧しい人が暮らしているだけの東南区とは違い、ならず者に闇商人、無免許医に暗殺者、その他かなり薄暗い素性や仕事を持つ人間があちこちにいるのが東北区だ。さすが暗黒街って通称は伊達じゃない。ここだって口入れ屋なんていってるけれど、その実結構危険な仕事も扱っている。外見はそこいらのバーと変わらないようにも見えるが、そのわりに人を寄せ付けない雰囲気を放っているのもそのせいってわけだ。
立て付けの悪いドアを開けると、店のカウンターの向こう側で腰掛けていた中年の男が顔を上げた。
「よう、あんたか」
カウンターごしにあいさつを交わす。見た目は小太りでちょっぴり頭が気になるどこにでもいるさえない中年親父。だけど、この人がこのあたりの口入れ屋を仕切る大庫辰次、通称『オオクラの旦那』だ。昔は凄腕の剣士でしかも万人が認める好青年だったんだけど、今じゃ見る影もない。特に頭頂部が……。なんていうか時の流れって残酷だよな。
ちなみに俺とこの人の付き合いもその頃からだから、かれこれもう二十年以上になる。当時二十台前半だったこの人と格闘家で幼なじみで現奥さんの二人が谷底で動けなくなっているのを発見した俺はそれぞれの残存精気四分の一って条件で助けてやったのが始まり、あのときはなんだかんだで報酬をもらいそこねたけど、こいつが諸国漫遊修行旅を終えてここで今の商売をはじめた後は結構わりのいい仕事を融通してもらったりしてる。おかげで俺もこっちで遊ぶ金には不自由なしってわけ。まあ、旦那にしてもまともに術の仕える請負人は希少だからお互い持ちつ持たれつってとこだ。
「今のところあんた好みの仕事は入ってないぜ」
俺がカウンター前の椅子に腰をかけるのを待っていたかのように、依頼のリストを眺めていた旦那が答える。この商売にとっては仕事の依頼をする依頼人もそれを請ける請負人もどっちも大切な客だ。この人は、一度見た客の顔は忘れない、なじみの請負人の能力、職歴、性格そして好みと依頼を請ける頻度まで正確に把握することで、もっとも適切な方法で依頼を処理する。だから自分の店で処理できない依頼はかならず断るし、逆を言えばこの店で取り扱われれば問題は確実に処理されるということになる。単純だけどこれが信頼につながり、つまりは成功の秘訣なのだとだいぶ前に俺が尋ねたときに返ってきた答えだ。ま、これだけで本当に成功できるほど世の中甘くはないけどな。
「大体、この前仕事したばっかりだってのにもう金欠か? ははーん、さてはまたかび臭い本でも衝動買いしたな」
生活基盤はもともとあっちだし両親ともに健在で働くにはまだ早い俺としては、自分が遊ぶ分だけ稼げばいいから生活のためにあくせく働く必要はない。娯楽っていっても酒も女も賭け事もあんまり興味がないから、俺の金が全部本と食べ歩きに消えていることは家族はもとより旦那にも周知の事実になっている。
「違う。まあ、金欠はそうだけど」
かび臭い本という点にちょっとむっとしながら答える。貯金を崩して、借金の残りは十六万と六百シルバ。完済への道は限りなく遠い。
「今回はおつかいってやつだ」
さらに答えを付け加えてから、カウンターのすぐ脇にクロウドさんから渡された木箱を二つ出現させた。
「注文してたマジックアイテムを届けにきたんだよ。はい、これ納品書な」
体力が回復した俺たちに言い渡たされたのが店の手伝い、ただで居候させてるんだから労働力を提供しろっていうのが向こうの言い分だ。借金を返せって言うからてっきりまとまった金を作って払いに来いってことだと思っていたら、払い終わるまで家に帰さないつもりらしい。曰く、「一度帰したら戻ってこなそうだから」だと。我ながらまったく信用がないな。
「なんか手馴れてるな。冬の間に転職でもしたのか」
納品書を受け取ると旦那が俺をからかう。
そんなこんなで二週間、なまじ土地勘があるおかげで今や外回りイコール俺の仕事と化している。それだけやればさすがの俺だって慣れる。
「まあな。それより中身の確認を頼む。昼までにあと三軒届けなきゃなんないから」
「そりゃ大変だな。じゃ、さっさと済ますか」
旦那は奥に一声かけるとさっそく箱の中を改め始めた。
商品の配達は届けたらそれで終わりと言うわけには行かない。届けた後は目の前でお客さんに中身を確認してもらい、受け取りのサインをもらうところまでが仕事だ。とはいえただ待つというのは結構つらい。初めは旦那の様子を眺めていたが、途中で飽きてしまい、今は奥さんが入れてくれたアイスコーヒーを飲みながらカウンターの隅にあったゴシップ雑誌をめくっている最中だ。職務怠慢って気もするけど、信用第一の旦那のことだ不正はしないだろう。なにより、久しぶりのまともな活字だ。普段はほとんど興味ももたないゴシップ記事でも自然と熱中して読んでしまう。
「ふうん、ヨウ国の広域破壊魔術研究疑惑なあ。女ってやつは何でこんなくだらない雑誌が好きなんだろうな」
不意に後ろから旦那の声がし、あわてて振り返る。
「わっ、なんだよ急に。びっくりするだろ」
後ろから雑誌を覗き込んでいた旦那を軽くにらんだ。
「確認終わったぞ。注文したものは全部あった」
旦那は俺の抗議など意にも介せずカウンターに戻ると、納品書にサインを書き込み差し出した。
「まいどありっと」
すっかり板についたセリフを口にすると俺は受け取った紙をポケットにねじ込んだ。用さえ済めば長居は無用。が、そそくさと立ち上がったところで、旦那が絶妙なタイミングで引き止める。
「ちょっと待て」
俺も無視すればいいのに、思わず振り返ってしまう。こうなると、いまさらさようならというわけにもいかない。帰るに帰れなくなってしまった俺は、旦那に促されるまま再び椅子に腰掛けた。
「あんた、ここの店主とはどういう関係なんだ」
やっぱりきたかこの質問。ここへのおつかいを言い渡されたときから覚悟はしてたんだよな。
「まあなんていうか……」
マドラーでほとんどからになったコップの中をかき混ぜながら言葉尻を濁す。本当のことなんて口が裂けても言えるかよ。魔族たる俺が人間に脅されて借金背負わされました、なんてかっこ悪すぎる。
「俺もこの商売長い。余計なことは詮索しないがな……、この人が誰だか知ってるのか」
そういうと旦那は納品書をひらひらと揺らした。
「二条蔵人。リリアン魔法具店の店主で三十代の独身男。基本的には笑顔が素敵ないい人だと思うけど、その笑顔で人を脅す実は自信家。俺が知ってるのはあと術士ってことぐらいだけど……」
とりあえず分かることを並べてみるが、商品の納品を頼んでる時点で旦那だってこのぐらいのことは知ってるはずだ。それをわざわざ聞くなんて絶対おかしい。
「あの人ってなんなんだ。人間のくせに並みの魔族なんかよりずっと魔力強いし。俺じゃ戦っても瞬殺はされなくても、十中八九負けだな。というか戦いたくないもない、戦えって言われたら可能な限り逃げるぞ俺は」
「おしい、いいとこまではいってるんだけどな。心当たりはないか」
「心当たりなんて言われたって、そもそも術士の知り合いなんて作りようもないし」
少なくとも今まで出会った術士は、俺の正体を知るなり追い掛け回すか逃げ出すかのどちらかで、とてもじゃないがお友達にはなれそうもないやつらばかりだった。
「だろうな」
そういうと旦那は少し大げさに肩をすくめて見せると、急に声を落とした。
「正体を知りたいか」
「知りたい。てか、ここまで盛り上げといてお預けとかされたら今晩眠れないじゃないか」
俺がカウンターに身を乗り出しにらむと、旦那はわるいわるいと口先で謝ってから話を始めた。
「『沈黙の魔導士』ってのは聞いたことあるか」
「沈黙の魔導士ってあれだろ、二十年くらい前の術士の派閥争いの。学園派のほうだったよなたしか」
術士はたいてい教会か魔法結社のどちらかに所属している。その中でも魔法結社内の二大派閥、宮廷派と学園派は仲が悪く、学園派が成立してからの二百年はまさにいさかいの歴史だったりする。とはいえ最近はそれぞれ問題を抱えているせいか、少なくとも俺がこっちに遊びに来るようになってからは目立った武力抗争は一度しか起きていない。それが今から二十年ほど前にアカデミア内で起きた生徒大量虐殺未遂事件だ。
もっともあったという事実は広く知られていても詳しいことは両派閥で緘口令でも敷いたのかほとんど知られていないし、そもそも俺がこっちに気安く遊びにこれるようになったのなんてつい十年ほど前のことだからちらりと小耳に挟んだ程度でしかない。それでも事件の中心人物たちは当時から今に至るまで最強クラスの術士として半ば伝説となっていて、その通り名くらいなんら誰でも一度は耳にしたことがあるってくらいの有名人だ。そんな中でも、この事件の被害拡大を食い止めたと言われているのが、沈黙の魔導士。その後、社会の表舞台に一切現れることはなく、どこでなにをしているのか、その生死すらなぞに包まれていることからこう呼ばれる、現在でも最強の呼び名が高い人物である。
「まさか……」
俺には関りのないことだから聞き流したけど、事件の話といっしょに聞いた沈黙の魔導士の名前ってのもクロウド何とかだったはず。そんなにめずらしい名前でもなかったから気にも留めなかったけれど……。
「そのまさかだ」
「いやいやいや、ちょっと待てっ! 何でそんなつわものがこんな辺鄙な地方都市で魔法具店なんかやってんだよ?! しかもあんな安普請の家で」
「さあな」
何となくクロウドさんのことはそれなりに有名な術士だろうとは思っていたれど、事実は俺の予想をはるかに越えていた。思わぬ展開にひさしぶりにマジでへこむ。
「普通術士ってものはどっかの国のお抱えになって、中央にいるもんだろ。それがなんでこんなところに住んでるんだよ」
いや、こんなところに住んでいるのは出世とか地位とかにあんまり興味のないからなんだと思う。そうじゃなかったら俺なんてとっくの昔にあの世行きだっただろうし。が、それはそれだ。
そういうことをいきなりカミングアウトされても困る。人類最強の男と一つ屋根の下なんて精神衛生上悪すぎだろ。ああもう、これからどう付き合えっていうんだよ。
「聞かなきゃよかった……」
激しく落ち込む俺に旦那が声をかける。
「とにかく、あんたはそこの店主と知り合いなんだな」
「ん、まあそうだけど……」
なぜ旦那は知り合いであることにそんなにこだわるんだ。
「だったら一つ依頼を受けてみないか」
そういうと依頼書の代わりに一枚の紙を押し付けてきた。描かれていたのは手書きの乱暴な地図。旦那の意図はまだつかめない。
「地図? これは……東北区のはずれのほうだな」
「そこに依頼人がいる。依頼の内容は会って話すそうだ」
内容は極秘ってわけか。土地柄、こういう依頼も珍しくはない。それだけに仕事はきちんと選ばないと痛い目を見る。もちろんここの依頼ならわなってことはないだろうけど、それでも最悪後ろからぐさっなんてこともありえるからな。
「あー、パス。俺はそういうヤバそうな橋は渡らない主義なんだ、知ってるだろ」
だから俺はこの手の仕事だけは絶対に引き受けない。それは旦那も承知のはずだが、今回ばかりは引き下がらない。
「とりあえず、会うだけあってみてくれ。俺の顔を立てると思って」
まあ、ここいらで恩を売っておくのも悪くないか。
「会うだけだぞ。請けるかどうかは俺が決めさせてもらう」
「それで十分だ。あんたの資料はこっちで回しておく、今日の夕方以降、暇を見て訪ねてくれ」
こまごまとした手続きの話をして旦那と別れたのはお昼過ぎのことだった。結局旦那の意図は分からずじまい。しかもなんだかんだ言って依頼まで引き受けちゃうなんて。義理堅いって言うか、お人よしって言うか。
あーあ、また面倒にならなきゃいいけど……。