第1話-03

 俺は今、人生の中でも一、二を争うくらい不機嫌だ。
 あのとき俺は死んだと思った。でもこうして生きている。一度は終わりだと思った命、ありがとう神様、これからは一日一日を大切にします。
 普通だったらなーんて新しい世界が見えるんだろう。が、今の俺はとてもじゃないけどそんな気分にはなれない。見慣れないベッドに横になった俺の目に入るのは、見慣れない天上に見慣れない家具。そして隣のベッドにはこの上なく不機嫌な顔をしたやっぱり見慣れない野郎が一人。
 天使の丘に突如現れた白翼族に追い掛け回されて戦いになったのが、つい一週間前の話。なぜかこの家の住人に助けられた俺は、その後からずっとベッドの中だ。だいぶ傷は癒えたとはいえちょっとでも動くと響くし、鉛でも流し込まれたみたいに全身だるいしで、体調は最悪、気分も最悪、最悪最悪の最悪尽くしだ。
「はあ……」
 おかげで出るのはため息ばかり。いくら普段から半引きこもりな不健全極まりない生活をしている俺でも一週間も一箇所に閉じ込められていると気がめいってくる。
「人の顔見てため息つくなよ」
 おまけに隣に寝ているのはあの憎き白翼族。何の因果でこんなむさくるしい男と枕を並べて寝てなきゃならないんだ。これでテンションあげろっていわれても無理な相談だっての。せめて隣に寝ているのがちょっと気が強そうなかわいい女の子とかクールで美人なお姉さまだったらよかったのに。で、これを機会に仲良くなって、二人であんなことやこんなことを……
「はああ……」
 考えてたらますます気が滅入ってきた。ありえない妄想はやめよう、自分がむなしくなるだけだ。
「だからため息つくなって言ってんだろ、うぜえ」
「……一日中お前みたいなむさいのと同じ部屋に閉じ込められてたらため息の一つや二つつきたくもなる」
「そりゃお互い様だ」
 三度ため息。ただし今度は二人分のため息の音。やっぱ、好き好んで男同士でむさくるしい時間をすごしたいやつなんているわけないか。首を回して相手のほうを見ると、向こうは天上を見つめて相変わらず不機嫌な顔をしている。普段なら絶対に話しかけたくない顔だ。とはいえ向こうもこっちもベッドから離れられない以上、できることなんて高が知れてる。初めのうちはぽつりぽつりとしか言葉を交わさなかったが、今ではそれなりに会話も成立している。まあ、お互い退屈には勝てなかったってことだな。
 これまでの会話から分かったことは、名前はアスター、年は百六十二歳の白翼族ってことくらい。見た目は俺と同じくらいなのに年はうちの兄さんとそう変わらないらしい。魔族も人間に比べればはるかに長生きだけども白翼族はさらにその上をいくってことか。

 アスターはぎしりとベッドをきしませて上体を起こすと、こっちを向いて座りなおした。天使の丘であったときはつんつんと立ち上がった髪形をしていたのに、今はぺったりと垂れ下がっている髪をうっとうしそうにかきあげる。
「つーかてめえが仕掛けてきたからこういうことになったんだろうが。たく、おかげでこっちはえらい迷惑だぜ」
 向こうが座っているのにこっちが横になりっぱなしというのも、いかにも軟弱に見えてなんだかしゃくだ。
「それはこっちのセリフだ。お前がわけもなく追い掛け回すからだろ」
 油断すると出そうになるうめき声をかみ殺して、俺も上体を起こす。普段は細いワイヤーカチューシャで上にあげている前髪が視界にちらちら入ってきてものすごくじゃまだ。
「逃げるもんは追いかける、常識だろ。大体、あんな必死になって逃げ回られたら誰だって不審に思うぜ」
「だってあれは仕方がないだろ……」
 白翼族っていったら魔族の間じゃ天魔戦争の時に捕虜を生体解剖したとか新薬の実験台にしたとか武器の試し切りに使ったとか、とにかくその手のうわさには事欠かないんだぞ。実際の天魔戦争を知ってるのが隠居のじいさんばあさん世代、俺たちの世代なんかじゃ生まれたときからそういう話を刷り込まれてるから怒りや憎しみよりも恐怖感を持ってるやつのほうが絶対多い。こっちはお前の正体知ってたんだ、そんなやつと誰が好き好んで係わり合いになろうと思うんだよ、……とは口が裂けても言えない。そんなこと知られたら俺の、というか魔族全体の名誉に関るよな、やっぱ。
「昼日中に街中で人外バトルを避けるため? その言い訳聞き飽きたぜ。ほんとは俺が白翼族だって知って、びびって逃げてたんじゃねえの」
「べ、別にびびってたわけじゃないっ」
「あんなにぎゃあぎゃあみっともねえ悲鳴あげてたのにか」
「うぐっ……」
 痛いところをつかれて言葉に詰まってしまう。なんだかんだ言われたって痛いものは痛いし怖いものは怖いんだよ。アスターはといえば、そんな俺を勝ち誇った顔で眺めている。くそ、なんて憎憎しいやつだ。言い返せないだけに余計悔しい。
 俺の心中を知ってか知らずか、わざとらしい口調で俺の神経をさらに逆なでする。
「へえ〜、悪魔のブレイクくんは白翼族が怖い、ビビリ君ってわけか」
 かっちーん。
「じゃあそのビビリに負けたのはどこのどいつだよ。それと悪魔って言うな、魔族だ、ま・ぞ・く」
 『負けた』ってところを強調して、思いっきりいやみな声色で応酬してやる。
「なっ、あれは引き分けだろ」
 今度はお前が詰まる番だ。
「先にダウンしたのはお前。つまり俺の勝ち」
 スポーツだろうが戦闘だろうが、先に倒れたほうの負けってのが絶対だ。自明の理を突きつけられてこいつも二の句が継げないみたいだ。あっはっは、ざまーみろ。
「てかてめーは不意打ちだったじゃねーか。俺はあんなの認めないからなっ」
 そう言いながら、びしぃとかいう効果音でもつきそうな勢いで俺に向かって人差し指を立てる。
「認めようが認めまいが、勝ちは勝ち。不意打ちも立派な兵法だろ」
 まともに戦ったら勝ち目がなさそうだったからという言葉は、心の奥底にしまっておく。
「ひきょうだぞ! 男だったら正々堂々と勝負しろっ」
「何度やったって無駄だと思うけどな」
 わざとらしく腕組みなんかをして余裕のあるところをアピールしてみせるけれど、内心は違う。というか、できればこんなやつと二度も戦いたくない。だが、この態度がまずかったらしい。
「んだと。だったら今すぐ白黒つけてやろーじゃねえか」
 そう叫ぶとアスターは今にも飛び掛らんばかりの勢いで、ベッドから立ち上がった。おいおいこの状態で戦おうなんて正気かよ。互いに傷口だってまだふさがってないんだぞ。

「はいはい、やめやめ」
 不意に横合いからぱんぱんと手をたたく乾いた音に続いて声が飛んでくる。立ち上がった姿勢のままアスターがの動きが固まり、俺も声のしたほうへと頭を動かす。振り向くと部屋の戸口に一人の男性がたっていた。この人が俺たちを助けた物好き……じゃなくて奇特なこの家の住人、クロウドさんだ。
 年のころは三十台前半。ゆるいウェーブのかかった明るい茶色のセミロングの髪に深い茶色の一重の瞳というこの大陸では珍しくも何ともない配色で、背は高くも低くもなく、太っているわけでもやせているわけでも筋肉質なわけでもなく、特別顔がいいわけでも悪いわけでもないがどちらかと言えばいいほうに分類されるかもしれない。もっとも男の顔の良し悪しを俺に聞かれても男に興味はないから答えられないけどな。服装も派手でもなければ地味でもない、この国の一般平民男子が着ているごく普通のもの。つまり中肉中背の非常に無難な男性ってわけ。ただしその身にまとっている雰囲気が只者じゃない。とにかく魔力が普通じゃないのだ。質は人間のものなのに魔力の量は並みの魔族のやつをはるかにぶっちぎってる。この分だとうちの親戚一同の中で一番の出世頭の兄さんとでも、互角以上に戦いそうだ。まあそうじゃなかったら、白翼族のアスターならともかく、魔族の俺を助けたりなんかしないだろうけど。最初に俺を見つけたのがこの人で本当によかったぜ。きっとすごくいい人なんだな。
「ずいぶん元気が有り余ってるみたいだねえ。そんなに暇なら店番でもやってくれないかな」
 クロウドさんはマジックアイテムを専門に扱う店のオーナーであり店主兼店員、つまり一人でこの店を切り盛りしているわけだが、この建物は店舗兼住居になっているらしい。
「まあ、いっか。ここで無理させて借金踏み倒されでもしたら困るし」
「「は?」」
 俺とアスターの声が見事にはもる。アスターがものすごく間抜けな顔をしているけれど、人のことは言えない、俺だって似たようなものだろう。
「借金?」
「ああ、そうか」
 クロウドさんが右手を一閃させると、その手の中に一枚の紙が現れる。
「はい、これ」
 そういって渡された紙には、『損害賠償請求』の文字とやたらと丸の多い数字。
「損害賠償請求ってどういうこと?」
「君たちが戦ってたのは、うちの屋根なんだよね。そこに書いてあると思うけど、屋根の修繕費用と破損したマジックアイテムの代金、きっちり払ってもらうよ」
 ……そういうことか。
「もしかして、俺たち助けたのって……」
「そ、うちの店の損害をしっかり払ってもらうため」
 そういうとクロウドさんはにっこりと微笑んだ。今までと同じ笑顔のはずなのにものすごくどす黒く見える。
「いや、だからって十六万二千シルバは多すぎるだろ」
 思い返してみれば結構派手にやったから、屋根が多少壊れたって不思議じゃない。見るからに、ぼろい家だし。それにマジックアイテムってのはそれ自体が魔力を帯びているから、近くで魔術を使うとそれに反応するからな、大方俺が最後に使ったやつにでも反応してそのまま壊れたんだろう。が、それにしても額が多すぎる。アカデミアの武術科を卒業した兵士の初任給が手取りで平均千五百シルバ、十六万シルバって言ったら普通の家庭なら一家四人が二年は生活できる金額だぞ。どう考えたって小売しかしてなさそうなこの店にそれだけの金額分のアイテムがあるとは思えない。この人もしかして俺たちが人外だからマジックアイテムの相場なんて知らないだろうって、水増し請求してるんじゃないか。こんな誰も寄り付かなさそうなところに店を構えてたんじゃ、来る客もこなそうだしな。
「ブレイク君。いま君、失礼なこと考えなかったかい」
 俺の考えていることを見透かすかのようにうっすらと笑みを浮かべながら俺を見つめている。
「う……」
 視線から感じるプレッシャー。……笑顔のくせにめちゃめちゃ怖いぞ。
「うちの店はちょっと特殊なものを扱ってるからね。それに近々大きな取引がある予定だから、いつもより商品が多かったんだよ。まあ運が悪かったと思ってあきらめるんだね」

 そのとき不意に下の階から、けたたましいベルの音が響いてくる。家の中のどこにいても来客が分かるように店のドアにつけられたものだ。続いて、誰何の野太い声。
「お客さんか。ちょっと下に行ってくるからその間に自分たちの進退をよく考えておくんだね」
 くるりと俺たちに背中を向けると「あー、やだな、気が乗らない」とか言いながら、戸口のほうへと歩いていく。そして、戸を一歩出たところでクロウドさんはもう一度振り返ると、
「そうそう逃げても無駄だよ。その時は地獄の底まで請求しに行くからね。まあ、その怪我じゃまともにすら動けないだろうけど」
としっかりと釘をさしてから部屋を後にした。

 クロウドさんの階段を下りる音が完全に途切れ、再び部屋は俺たちだけになる。俺は盛大なため息をつくとベッドの上に仰向けに寝転ろんだ。何もしてないはずなのにどっと疲れが襲ってくる。いきなり請求書を突きつけられたせいもあるけれど、弱っているときにあれだけ強力な魔力源がそばにあるのはかなりしんどい。正直言ってあのタイミングで来客がなかったら、倒れてたかも。どこの誰かは知らないけれど、感謝するぜ。魔族のくせに他人の魔力に影響されて、下手をするとショック症状まで起こすなんていう情けない体質、やっぱ他人にはあんまり知られたくないからな。隣のベッドからはアスターが腰を掛けたのか、ぎしと小さな音が聞こえてくる。
 アスターに追いかけられて、大怪我して、その上莫大な借金まで背負って。何か俺、ここ最近とことんついてない気がする。あの様子だと、クロウドさん本気で地獄の底まで追いかけてくるぞ。何が自分たちの進退を考えろだよ。要は死にたくなかったら賠償金を払えってことじゃないか。
「……つまり選択肢はないってことか」
 階下からは男たちの品のないだみ声が響いてくる。安普請なのか少しでも大きな声を出すと家中で聞こえるのだ。相当派手にやったせいで、さすがに衛兵が動いているらしい。戦闘の中心地だったこともあり毎日のように店にやってきては、俺たちのことをかぎまわっているが、そのたびにクロウドさんが適当にあしらって帰している。
 ……仕方ない、俺にも少しは……いやかなり責任はあるからな。

 それにしても十六万シルバってのは法外だ。見たからって金額が減るわけじゃないけれど自然と請求書に目がいく。視線を走らせているとある一点に目が留まる。二条蔵人。クロウドさんの氏名だが何かが引っかかる。どこかで聞いたことがあるような……。あれだけの魔力の持ち主がこんな貧民街の真ん中に店を構えてるっていうのも気になるし。……これは何かあるな。
 その何かを探ろうと必死に記憶の糸を手繰るけれども、ぼおっとする頭では答えは一向に出てこない。それにだんだんと眠くなってきたし。家中に響く声も次第に小さくなっていく。俺は考えるのをやめて、まどろみに意識を預けた。

 こうして俺たちは借金を完済するまでの間、ここに留めおかれることになった。
 いつものようにいつもの店で本を買い、いつもの場所で本を読む……のはずが魔法具店の二階に居候する羽目になるんだから人生ってやつは何が起こるかわからない。百と三十年ちょい生きてる俺が言うんだから間違いない。

 が、これがただの借金返済物語で終わるとはとても思えないんだよなあ。

--- 路地裏の魔法使い 第1話  完 ---
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