第3話-05

 扉の向こうには、混沌とした光景が広がっていた。
 俺たちが放りこまれていた牢屋とは違い、広々とした空間には、多くの兵士たちがあわただしく動き回っていた。割れたガラスの破片と、食べ物が散乱し、床のとろこどころに黒っぽい液体がべったりとこびりついている。大方、宴会中に兵士がなだれ込んできたというところだろう。部屋中に血とアルコールが交じり合った独特のにおいが立ちこめ、頭がくらくらとする。
 前を歩いていた兄さんがふいに立ち止まる。ぼうっと歩いていたため背中にぶつかりそうになり、あわてて立ち止まる。
 兄さんの肩越しに前を見ると精悍な顔つきの男性が俺たちの行く手を阻むように立っていた。
「ブレイド、どこにいっていたんだ。姿を見ないと思っていたら、今頃になってあらわれて。もうあらかた賊は捕まえた後だぞ」
「アイリさん」
「まったく、どこで何をしていたやら」
 アイリさんと呼ばれた男性が胡散臭げな視線を向ける。
「すみません。盗賊たちに追いかけられているうちに、迷ってしまって……」
 兄さんはその視線をかわすように、しらっと答える。
「迷った?」
 男性はますます胡散臭そうなものを見るような顔つきになる。
「本当に、どこで何をしていたやら」
「いやあ、あはははは……」
「まあいい。で、その後ろの二人は」
 兄さんに向けていた視線を、今度は俺たちに向ける。
「うちの弟と……」
 兄さんの手が俺の頭に伸びる。
「その友達です」
 そのままぐいぐいと頭を押さえつけられる。
「昨晩、今日の盗賊退治の話をしたら、こっそり付いてきてしまったみたいで……」
 盗賊退治に興味があるとかどれだけアホな子だよ。が、とりあえず兄さんに合わせておく。
「いや、だって盗賊退治とかなんかかっこよさそうだったし……」
「本当に申し訳ありません。このバカどもには後でよく言い聞かせておくんで」
 ぐいぐいと親の敵のように頭を押さえつける。いい加減首が痛い。
「ほら、お前たちも謝れ」
 頭を押さえつけられながら、非難の視線を兄さんに送る。
「ほら」
 続きを促され、しぶしぶあやまると、横からアスターの声が続く。
「本当にすみませんでした」
 俺たちの頭を抑えたまま、がばりと兄さんが頭を下げる気配がする。真に迫った演技だ。
「……」
 そろそろと兄さんが頭を上げる気配に続き、頭にかかっていた圧力がふっと消える。
「……ところで、盗賊退治はあらかた終わったということですし、帰ってもいいですか。こいつらを家まで送っていきたいんで」
「うーん、そうはいっても仮にも盗賊のアジトにいたんだろう。盗賊の仲間という可能性もゼロではない」
 アイリさんが、ふっと考え込む表情を見せる。
「とはいえ、俺が判断していいものでもない。ここはミツルギ様に伺いを立ててみるか」
 俺たちを一瞥すると、くるりと背を向ける。
「ついてこい」
 そういうと、アイリさんはすたすたと歩き始めた。

 小さな声で、兄さんがため息をつく。
「とりあえずは、第一関門突破といったところか」
「で、これからどこに行くんだ?」
 少し先を歩くアイリさんに声が聞こえないよう兄さんに尋ねる。
「ミツルギさまといっていたから、作戦本部だろう」
「ふうん」
「ところで、あいつ何者なんだ。身のこなしが尋常じゃねえ」
 さっきからずっと黙っていたアスターが口をひらく。
「……同じ服を着てるが、兵士ってわけじゃねえだろ、あれは」
 すたすたと歩く背中に目配せする。
「あいつはヨウ国魔術士団師団長の護衛だ」
「ま、魔術士団師団長っ?」
 思わず上げた声にそばを歩いていた兵士が不振な目を向けてくる。
「っていうか、何でそんな大物がこんな辺鄙なところにいるんだよ」
 興味を失い兵士がそのまま通り過ぎるのを待って、小声で兄さんに話しかける。
「お前も見ただろ。牢屋に仕掛けられていた結界を。魔術士団師団長さんはアレを解除しにきたんだよ。現魔術士団師団長は宮廷派の中でも、そういうのに特化した家系の出だからな」
 「あくまで作る側らしいけどな」と兄さんが小さく付け加える。
「あー、あれね」
 牢屋の鉄格子に掘り込まれたやたらと気合の入った結界の文様を思い出す。ずっと牢屋に閉じ込められていたせいで、今ならばっちり同じものを書けそうなほどくっきり覚えている。
「盗賊が使うには立派過ぎる代物だったな。割と古いものみたいだったけど」
「いや、そういうわけじゃない。結界については仕組みも公開されているものだしな」
「だったら魔術士団師団長なんてのが出てこなくたってそこらの術士でも十分じゃないのか」
 ああいうものは、中から破るのは難しいが、仕組みさえわかれば外からなら意外と簡単に破ることができる。
「型式があまりにも古すぎて並みの術士じゃ手が出せなかったんだよ。下手に解除しようとするとトラップが発動するようになってたしな」
 確かに見るからにこったつくりはしていたが、そこまで複雑なものだったとは。そんな中にのこのこ入っていった俺たちって、相当命知らずかもしれない。
「うわ、それは結構エグイ。そもそも何なんだここは?」
「ここは二百年ほど前まで政治犯を収容していた牢獄だって。それがいつの間にか盗賊団がアジトにしてたらしいぞ」
「いつの間にかって……。こんな結界つきの牢獄を放置するとか大丈夫かよ」
「いやいや、当然機能は停止させていたらしいぞ。ただ、何者かが復活させたらしくて、簡単には手が出せない状態だったんだ。もともとここの位置も微妙だったからヨウ国もセイト国も余計に手を出したがらなかった。で、放置しているうちにドラゴン狩ってるだけじゃ飽き足らず、近隣の町を支配下に置こうとし始めて、ようやくヨウ国側が重い腰をあげたってわけ。と、これがここに来る前、俺が聞いた話だ」
「へえ、そんなことがね。メイキは全然平和……だったけどな」
 話が術の話になったとたん見るからに興味を失ったらしく、ぼけっとした顔つきで隣を歩いている白翼族――まったくそうはみえないけど――に襲われたり、どっかの見知らぬ兵士に襲われている神官娘こと白翼族(男)を助けようとしてぶっ飛ばされたり、何か分からないが魔法の攻撃を受けたりとした気もするが、アレは俺の人生の中でたまたま厄介ごとに巻きもまれる時期が重なっただけだと思う。……というか思いたい。
「っていうか、半分以上お前のせいだよな」
「へ? 何だよ急に……」
 いきなり話しかけられてアスターがびくりとする。
「別に」
「たく、何なんだよ……」
 アスターがさらに何か言いたそうな顔でこちらを見ているがそのまま無視をする。
「まー、あそこを襲おうなんてガッツのある盗賊はさすがにいないだろ。それに、最近はずっと近衛師団が駐在してたしな」
「あー、それで……」
 数日前のことを思い出す。
「なんだ、知り合いでもいるのか?」
「いや、まー、知り合いってほどでもないけどな」
 一言二言話はしたが、あれを知り合いとは言わないだろう。
「ん? ということはあいつも術士?」
 俺たちの話が聞こえているのか、それとも聞いていないふりをしているのか、黙って前をもくもくと歩く背中をじっと見る。普通よりも幅が広めの肩に筋肉がついた肢体は、一般的な術士にはあまりいない体型だ。
「いや、違う。少なくとも、俺は術を使っているところを見たことはない」
「ふーん、ほかに護衛は?」
「護衛と呼べるのは、あいつだけだな。地位的に部下はいるが、あくまで職業上のものだ」
 術士、しかも地位の高い術士なら護衛もそれなりの術士をそろえそうなものだけど、そういうわけではないらしい。
「ふうん、魔術士団師団長さんっていうのはよっぽど腕に自信があるんだろうな」
「いや基本的に人を信用しないんだよ。まあ、敵に回せば厄介な相手ではあるけどな」
 兄さんはそういうと小さく息を吐いた。
「ところで、兄さんはずいぶんと内情に詳しいみたいだな」
「そりゃ、半年もそばにいればな」
「……半年ねえ。つまり兄さんは半年も連絡ひとつよこさずこっちにいたわけか」
「そういう仕事なんだから仕方がないだろ」
「仕事ねえ」
「大体、お前がそれを言うか。遊びに出かけたきり一ヶ月近くも行方をくらませていたのはどこの誰だ? ん? お前が行方不明だって言うんで、父さんがわざわざ俺のところまで来たんだぞ」
「別に俺だって好きで行方をくらませていたわけじゃないぞ。俺にだっていろいろあるんだよ」
「へえいろいろねえ。そいつはさぞかし立派な理由があるんだろうな、え?」
「いや、それは……」
 兄さんの視線に耐え切れなくなり、視線をそらす。
「目をそらすな」
「は、ははは……」
「笑ってごまかそうとしてもダメだぞ。後でじっくり聞かせてもらうからな」
「……はい」

 しばらく建物の中を歩くと、昼間俺たちが盗賊たちに連れてこられたときに通った広場に出た。昼間と違うのは、盗賊たちの代わりに兵士たちが行き来していることと、いくつものテントが張り巡らされていることだ。テントといっても旅人が使うような簡易的なものではなく、本でみた戦場で使う天幕のようなものだ。
「ここだ」
 アイリさんがテントが乱立している場所からは少し離れた場所に立てられた、一回り大きなテントの前で立ち止まる。
「これからミツルギ様に引き合わせるが、くれぐれも失礼のないように」
 俺たちにそういうと、アイリさんは中に声をかけテントの入り口を大きく開いた。
「失礼しま……」
 その声が途中で途切れる。中では軍服に身を包んだ男性が、メイド服を着たうら若い少女にのしかかっていた。
 少女は男性の首に腕をまわしその表情はとろりとしている。メイド服というには装飾華美な服は肩まではだけ、付け根まであらわになった太ももをかろうじて包むスカートの中に男の腕が伸びていた。

 ……まあ、つまりそういうことだ。

「……」
「…………」
 俺たちの視線に気が付いた少女があわてて着物をかきあわせる。
「…………ちょっと失礼する」
 そういうとアイリさんは、ゆらゆらと中に足を踏み入れる。無表情なのが逆に怖い。アイリさんが入り口を閉じるのと入れ替わりに、中から、怒号と物が壊れる音が響き渡る。
「俺が心配するべきことじゃないけどさ、あんなのが重役で大丈夫なのか」
 言い争う、というよりは一方的に怒鳴る声を耳にしながら兄さんに声をかける。
「あれでも術士としても、政治家としても一流以上だ」
 テントの中からひときわ大きな物音が聞こえる。
「……あれでもな」  兄さんは今度は大きな声でため息をついた。

 なんだか、この世界はダメな大人が多すぎる……。

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