ある日の夜明け前、ブレイクは肩口から忍び込む冷気で目を覚ました。
「さむ……」
ぶるりと身を震わすと、毛布を頭の上まで弾き被り夜具の中でまるくなる。
イースト大陸最大の王国セイトの最北端に位置するメイキは、夏の間涼しい分冬の訪れも早く、そして厳しい。はるか西の海上から吹き付ける湿った風が山地にぶつかることにより毎年のようにたくさんの雪が降る。そのため国境は冬の間封鎖され、この街を訪れる人はほとんどいなくなってしまう。その間、ある人は厳しい寒さを避け、またある人は王都へ出稼ぎにと街を離れていく。夏には多くの人々の行き交う目抜き通りも小雪のちらつく頃にもなると昼間でも閑散としている。
しかし、そんななかでも人々の生活は日々営まれる。
ぬくぬくと暖かい毛布に包まりまどろんでいると、不意に階下からどたどたと駆け上がってくる足音が聞こえてくる。足音は部屋の前で止まり、乱暴に開かれるドアの音に変わる。
「起きろブレイク。雪だ!」
声の主はアスター、この部屋のもう一人の住人である。とはいえ今流行のルームシェアなどと言うしゃれた関係ではなく、それぞれおのおのの理由でこの家にいついている、いわば居候仲間というやつだ。
「あー、はいはい」
何でこんな時間からそんなにテンション高いんだよ、と毒づく。日の出とともに、最近はそれより早く起き出して毎朝鍛錬にいそしんでいるアスターならともかく、ブレイクにとってこの時間は確実に夜に分類される。雪ごときでたたき起こされるなんて冗談じゃないとばかりに寝返りを打つとアスターに背を向けた。
「いいから起きろ」
そういうや否や、アスターは毛布を引き剥がしにかかる。
「何するんだよっ!」
あわてて毛布にしがみつくが、力でかなうわけもなくあっさりと取り上げられてしまう。とりあえず抗議をしてみるが、返してくれる様子はまったくない。
「とにかく外見てみりゃわかるって」
「まったく、雪くらいでいちいち騒ぐなよな。子供じゃあるまいし……」
だからと言って毛布一枚でこんな時間からバトルをはじめると言うもの大人気ない。毛布の奪取をあきらめたブレイクは、いやいやながらも寝台から降りると窓に向かった。
「あー、すごいすごい」
窓辺に立つとろくに外も見ずにいい加減に言う。とにかく適当に満足させて、自分はもう一眠りしようという魂胆のようだ。
「これで満足だ……ろ…………」
目に飛び込んできたのは一面の銀世界。
「うわあ……」
思わず感嘆の声をあげる。夜半過ぎから降り始めた雪は、一晩で周囲の景色を一変させていた。積雪は大体20センチそこそこといったところだろう。いつもならそこから見える広場の地面も、家々の屋根もすっかり白いもので覆われて違う場所にいるような錯覚さえ起こさせる。
しばし景色に見とれるブレイクだったが不意に肩をたたかれる。振り返るとどこから探し出してきたのかアスターが木製のスコップを手にしている。
「ほれ、手伝え」
アスターはスコップを手渡すと、にっと笑った。
「雪っつたらかまくらだろ、やっぱ」
その一言で怪訝な面持ちで突っ立っていたブレイクの表情が一変する。
雪というものはいくつになっても人をわくわくさせるものらしい。それがまだ誰も踏んでいない新雪ともなるとなおさらだ。さっきまでの投げやりモードはどこへやら、ブレイクはいそいそと身支度を整えるとアスターの後を追いかけた。
そして二時間後……
「がんばれー」初めは二人で作っていたのだが、二人が広場の一角に雪を積み上げていると、次第に近所の子供たちが集まり出しいつも間にちょっとしたお祭り騒ぎになっていた。が、ここはあの悪名高きメイキ東南区、別名貧民街、治安の悪さは折り紙つきだ。血の気の多すぎる連中がうろうろしている中を生き抜く住民たちはたくましく、そして喧嘩っ早い。もちろんそれは子供も同じ。そんなわけで、雪をこっちに投げただのひじがぶつかっただのやっているうちにかまくら作りは雪合戦となり、あれよあれよと言う間に子供たちそっちのけでブレイク対アスターのルール無用な戦いにまで発展したというわけだ。
「審判! 今のは反則だろっ?!」
アスターが今度は広場に転がされていた木箱のひとつの上に立った少年に向かい一歩踏み出した。
「えと……、攻撃に使ってないからセーフ」
そうは言ってもやはり判断がつきかねるのだろう、審判と思しき少年がおずおずと口を開く。普通子供の遊びで術なんて登場するわけがないのだから仕方がない。が、この態度がいけなかった。それでなくても興奮していた子供たちが一気にヒートアップし、たちまち反対派と擁護派に分かれてけんかを始めてしまう。当然この事態を止めてしかるべきの二人はと言うと広場の真ん中でまだにらみ合っている。こうなっては誰にも止められない。哀れな少年は箱の上でおろおろするしかない。
不意に少年の肩に暖かい手が置かれる。その次の瞬間、
「「ふごっ」」
二人の頭上にどっという音を立てて大量の雪が降ってきたのだ。雪に押しつぶされ地面に倒れた二人はそのまま下敷きになってしまう。突然のことに驚いた子供たちが押し黙る。不気味に静まった広場の中を一人の人物がつかつかと歩いていく。
「いてて……」
頭の上の雪を払い落としながらアスターがゆっくりと起き上がった。
「うう、つべたい……」
続いてブレイクが顔を出す。
「たく、なんだってんだ……よ」
こんな芸当ができるのは、世の中広しというえども早々いるものではない。見上げるとそこには、仁王立ちしたクロウドの姿があった。
「う……」
「やべえ……」
はたから見るといつもの温厚な笑顔をしているが今回ばかりは目が笑っていない。
「な に し て る のかな、君たちは」
そう言い放つとクロウドはにっこりと微笑んだ。